フェルディナント・ポルシェが足として使っていた?忘れられたポルシェ

Photography: Mark Kucera, Rob Box and The Porsche Archives



それはフォルクスワーゲン、ポルシェ356や550スパイダー、そしてポルシェのデザインオフィスでアウトウニオンやチシタリアGPカーを手掛けたオーストリア人、エルヴィン・コメンダ技師による設計であった。そのシェイプは結局生産化に至らなかったV10ミドエンジン・スポーツカーの1938年Typ114 F-ワーゲンからヒントを得ていた。

1939年から1940年にかけて3台のTyp64のボディがシュトゥットガルトの北のはずれ、ツッフェンハウゼンのロイターコーチワークによって製作された。ロイターの工場はポルシェの敷地から道を挟んだところにあり、10年後、ポルシェが356をスチールで量産する際にはロイターのスペースを借りた。これはポルシェの工場はその時まだ米国軍に占領されていたための措置であった。1963/64年までにポルシェはロイターの工場を買収し、ロイターはシート専門制作部門をレカロという社名で独立させ、ロイターはその後何年にもわたってポルシェに部品を提供することになった。

985ccだったオリジナルVWの空冷水平対向4気筒エンジンは23.5bhpから32bhpにチューンナップされた。後に軽合金シリンダーのボアを拡大して1131ccとなったが、戦後生き残ったTyp64は1100ccクラスのレースに出場できるよう1085ccに縮小された。2番目のオーナーはその後60HPの1.3リッターエンジンを積み、最高速度180km/hを記録したという。
 
ある晩、ポルシェ博士は運転手にステアリ
ングを任せ、ベルリンからファラスレーベン(かつての暗黒の時代には、KdF-Stadt:歓喜力行団の車市と呼ばれたが、戦後フォルクスブルクと改名された)の近くにあるフォルクスワーゲンの工場まで、ライヒスアウトバーン(ドイツ帝国高速自動車道路)の200kmを平均134km/hで走りきったといわれている。1リッターのロードカーにしては極めて優れた高速性能といえよう。空車重量610kg、空力的なフォルム、そしてリアエンジン・レイアウトがもたらすトラクションは力強い。スターターを押す前に、まず2個のキャブレターをチョーキングして混合気をリッチにして、フラット4を目覚めさせた。



Typ64は実に爽快な発進を披露してくれた。だが、トーションバー式のサスペンションは不快なほど固められ、騒々しく、また快適なわけでもないことから、これが本来レースのために造られた車であることが知れる。

必要最小限のスペースを確保したコクピットは狭く、2脚のシートは中央に寄り添うように配置されている。塗装仕上げのシンプルなダッシュボード、ステアリングホイール、そしてセンターに配置したスピードメーターなどは、初期のVWビートルを思い起こさせる。狭く暗いキャビンは閉所恐怖症の人にとっては耐え難いかもしれず、雨が降ったなら、曇ってしまうにちがいない。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation: Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.)  Words: Hans-Karl Lange 

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