追悼 ジャガーの伝説 ノーマン・デュイス

Photography:Paul Harmer

ジャガーのチーフテストドライバー、開発エンジニアを務め“レジェンド”と呼ばれたノーマン・デュイスが98年の生涯に幕を閉じた。ノーマンは1985年に引退した後、コヴェントリーからも遠くないシュロップシャーに住み、ジャガー関連の活動を続け、1年の半分は外出していたという。彼が残した功績、周囲の人物に与えた影響など、新ためて見ていただこう。

以下、本編は2019年4月29日にOctane.jpへ掲載した内容と同様である。

98歳のノーマン・デュイスOBE(大英帝国四等勲爵士)はジャガーの伝説といってよい。彼と以前の同僚たちとの気のおけない昔話に華が咲いた。


癖というものは、なかなか抜けないものだ。リタイア後30年、ノーマン・デュイスは最近彼の地元のジャガーディーラーを訪ねた。彼らが販売するジャガーXEに、どうして他のものよりもはるかに大きなロードノイズを発するメーカーのタイヤをわざわざ履かせているのかを聞くためだった。

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ディーラーの答えは「特に苦情はありませんよ。今では誰もあなたのようにこだわる人はいないのです、デュイスさん」だった。これは事実だ。ブラウンズレーンのジャガー本社での33年間、デュイスはCタイプからXJ40に至るすべての製品に、彼一流の厳格な標準を適用した。彼の信条とも言えるジャガーへの「親密な束縛」は現在に至るも、消えることはない。そして齢98の彼は、おそらくモータリングの世界で以前よりずっと知られる存在となっている。

彼がジャガーに遺したものは、彼が手がけた多くの車だけにとどまらない。取材打ち合わせで、旧本社工場があったブラウンズレーンからほど近いホークスミル・レーンで1835年から続く老舗パブ、ホワイトライオンでランチを共にしたのは、彼のかつての部下たち3人だった。

現在の試験・開発
会社を立ち上げる前、29年間にわたってジャガーに在籍したピーター・テイラー。1970年に入社し、現在は有資格のジャガースペシャリスト、エド・アボット。アボットより3年遅く入社し、最近は電気自動車であるI-PACEのチーフ・プロダクトエンジニアだったラス・バーニー。

彼ら3人全員
が、デュイスが1952年に、リー・フランシスからジャガーに移った時、デュイスの下で実習生だったのだ。その時、テクニカルダイレクターのビル・ヘインズは、デュイスが提示した楽天的な給料の額を了承し、彼らのジャガーへの招聘が実現した。



デュイスが与えられた最初の仕事は、ジャガーの新しいディスクブレーキを開発することだった。デュイスはこう回想している。

「担当したのは、ダンロップから来たハロルド・ホジキンソンと、部下の二人の組み立て工。それにわし自身じゃったよ。彼らはやりおった。XK120に組み込んだんだ。わしは言ってやった。なんでCタイプでやらなかったんだ?って。もし、わしらの車の中で最速の奴でやれりゃあ、ほかのを全部をカバーできるじゃろうが」

「わしらが心配したことのひとつは、開発を他の同業者に知
られることだった。だから静かに進めたんだ。わしらはだから業界みんなの目が集まるMIRA(Motor Industry Research Association)を使うことは躊躇した。そこで、航空省に接近してどこかにわしらが使える、今は使っていない飛行場がないか尋ねたものさ。スタッフォードシャーのパートン飛行場は第二次世界大戦中の戦闘機用空軍基地で、コヴェントリーから遠くない。航空省は承知して鍵を渡してくれたので見聞に出かけた。素晴らしく長い滑走路があったな。そして周りには塀もあった。わしは道を進んで行った。農夫がおったんで、ストローベイル(藁ブロック)の半端物を300個くらいくれんかね?と頼んだんだ。奴は言ったよ、牛を飼うつもりじゃあるまいね?って。いいジョークだった。それをコースのクラッシュパッドにして、そこでディスクブレーキの開発のほとんどをやったんだ。だいたい朝の8時に開始して、暗くなるまでぶっ通しだったよ」
 
そこでデュイスは、当時テストと運転の全てを自分でやっ
ていたことを思い出した。Cタイプに導入された後、ディスクブレーキはXK150からはプロダクションモデルに採用されることになり、量産モデル初のディスクブレーキ装備車が登場した。

1961年にはEタイプが発表になった。その頃のジャガーはまさに絶頂期にあり、誰もがジャガーで働きたがったから、優秀な人材が集結して開発に協力した。「わしの部署のほとんどは見習い社員だったよ。わしらは彼らを引き受けて、ブレーキテストのやり方や高速コーナリングのやり方、そして強化の仕方を教えたんだ。わしらはやり遂げたさ。彼らとその先輩たちと一緒にな」

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA( Ursus Page Makers) Words:James Page 

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