「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン監督が語るカー・ムービー

MG TD に乗る、最近のコーマン。この MG TD は、コロナ禍の最中に夫人と娘さんがレストアした。


F1体験


シーズンが閉幕を迎える頃、コーマンはF1の世界を存分に満喫する機会に恵まれた。ふたたび撮影現場でステアリングホイールを握る体験だったが、このたびはスタント・ドライバーとしてではない。

「シーズン最後のレース会場はシルバーストンでした。その翌日、私たちは撮影用に借りてあった別のサーキットに行って、ジミーやブルース、他にも2~3人のドライバーたちにマシンを運転してもらったんです。彼らのタイトな運転風景を、ところどころに俳優が運転する場面も織り交ぜながら撮影しました。そして撮影をすべて終えてから、『あのマシンを、サーキットで自分で運転してみてもいいかい?』と尋ねてみたんですよ」

「ロータスのメカニックは『もちろん』といってくれてね。世界選手権に出場した1963年用マシンは、コーリンがさすがに許してくれそうもなかったので、そのマシンとまったく同じように見える1962年のマシンに乗ることになったんです。私には何がなんだかわからなかったけれど、とにかくアクセルペダルに触れただけで、あっという間に第 1コーナーまで来ていた。『なんてこった、こんなマシンは私じゃ運転できない。でも引き返すのも無理だ。リバース・ギアもない。サーキット全体を1速のままで走るわけにもいかないし…』というありさまでね」

「それで、おそるおそる2速にシフトしてみると、ギアがクラッシュするような音が聞こえてくるじゃないか。『3速にシフトするのは怖い』と思って、サーキット中を2速のままで走りましたよ。ピットまで戻ってくると、ジミーとブルースが『素晴らしいドライビングだよ、ロジャー。見事だ』といってくれたものです」

なお、『栄光のレーサー(The Young Racers)』の大半は、認可や許諾をとらずに撮影されたという噂もあるが、この作品の野心的なスケールや低予算の実情を考えれば、無理もない選択だったのかもしれない。コーマンはこう語っている。

「サーキットごとに許諾は取りましたよ。ただ、許諾はカメラマン1人分でしたが、そうもいかず、私のスタッフにはカメラマンが3人いた。でも気にする人は誰もいませんでした。レース撮影にも費用は支払ったけれど、支払った金額以上に撮影権を活用しすぎたんでしょうね。この映画は、3台のカメラで撮影しました。3年後にジョン・フランケンハイマー監督が『グラン・プリ(Grand Prix)』〈1966年・米国〉を撮影した時には、なんでも18台ものカメラを使ったとか。低予算の撮影と大型予算の撮影の違いだね」

大型予算はコーマンには縁が薄かったものの、氏の作品の特徴はおそらく、豪勢な場所・設備・特殊効果などを必要とせずに映像物語を紡ぎ出せてしまう氏の才能、および、この撮影許諾にまつわる逸話のように、実際に「支払った」案件を最大限に活用する氏の機転が、じかに発揮された成果に由来しているのだろう。氏自身は次のように話している。

「『ジョーズ(Jaws)』〈1975年・米国〉が公開された時、『ニューヨーク・タイムズ』誌の筆頭評論家ヴィンセント・キャンビー氏は、『"ジョーズ"は、ロジャー・コーマン作品の大型予算版に他ならないのでは?』と評していました。適切な評価でしょう。1954年に公開された私の初作品『海底からの怪物』は、あの作品に酷似した話でした」

車を題材にした映画に回帰


コーマンが制作を主導した作品は、『百万の眼を持つ刺客(The Beast with a Million Eyes)』〈1955年・米国〉、『吸血怪獣ヒルゴンの猛襲(Attack of the Giant Leeches)』〈 1959年・米国〉、『赤死病の仮面( The Masque of the Red Death)』〈1964年・英米〉(コーマンの個人的なお気に入り作品のひとつ)、『 Blood Bath("血の浴槽"の意)』〈1966年・米国〉、『ダンウィッチの怪(The Dunwich Horror)』〈1970年・米国〉、他にも文字通り何百本ものタイトルが並ぶ。 しかし、数々の作品制作を経て、氏が回帰したテーマは車だった。しかも、F1作品まで手がけている。なお、氏が作品テーマとしてとりあげた車は、厳密には、米国の一般的な車好きから得られた着想ではない(おそらく、氏が英国オックスフォードで英文学を学んでいた頃に得られた着想だろう)。

氏が手がけた車映画の2作目は、『The Wild Racers』〈1968年・米国〉で、この作品には、歌手にして俳優のフェビアン・フォートが出演している。「『栄光のレーサー』が、AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)社で堅調な成功を収めたので、社はシリーズ作品を欲しがってね。私は社に、こう言ったんです。『ひと夏まるごとF1サーキットで過ごしてきたんだ。また同じことを自分でしようとは思わないが、制作指揮なら請け負いましょう。実制作は、私の友人たちに担当させようじゃないか』とね」

それから2年後、コーマンは「自由と資金」を求めて、自身の制作配給会社であるニューワールド・ピクチャーズ社を設立した。

『白昼の幻想(The Trip)』〈1967年・米国〉の撮影風景。

「AIP社が最大級の成功を収めた作品は、『ワイルド・エンジェル(The Wild Angels)』〈1966年・米国〉と、『白昼の幻想(The Trip)』〈1967年・米国〉で、この2作はちょっとした資産まで生み出しました。しかも、私自身はAIP社とともに15年間にわたる活動を重ねていた。でも両作品とも、私が完成作品を渡した後になって、社は私になんの断りもなくさまざまな箇所をカットしてしまったんです。そんな状況を避けるためには、自分の会社を立ち上げるしかないと思ってね」

『ワイルド・エンジェル(The Wild Angels)』〈1966年・米国〉の撮影現場にて。俳優ピーター・フォンダと女優ナンシー・シナトラ。 

新会社の設立以降は、カーチェイスやカークラッシュを織り込んだ作品が続々と制作された。ロン・ハワードが主演した2作品、『レーシング・ブル(Eat My Dust!)』〈1976年・米国〉や『バニシングINTURBO(Grand Theft Auto)』〈1977年・米国〉などもその頃の作品だ。以前にレーシングカーの現場で作品を制作した経験もあるコーマンは、撮影セットの現場で長時間をすごし、あらゆる制作レベルで活躍を遂げた。

「『レーシング・ブル(Eat My Dust!)』は、もとは別のタイトルだったんです。あの作品は渓谷地帯で撮影したので、どの車も凄まじい砂ぼこりを上げていた。それで、監督のチャック・グリフィス(チャールズ・B・グリフィス)が、『この映画は"Eat My Dust(「俺の砂煙を食らえ」の意)"って呼ぶべきだな』と言ったんですよ。まさにうってつけのタイトルで、作品も大成功を収めました。ロン・ハワードは電話をかけてきて、『続編には今回と同じ報酬で出演するし、無料で監督するよ』という話でね。それで彼の出演と監督で『バニシングINTURBO』ができあがった。この作品も大成功でした」

実は、『バニシングIN TURBO』は別の事情でも有名だ。作中では、ロールス・ロイスのシルヴァークラウドが破壊されてしまうのだ。ただし撮影の舞台裏は、作中に見られる破壊シーンとは異なっていたようだ。

「チャック・グリフィスは私の制作陣の中でも筆頭のライターですが、彼はいつも、撮影がきわめて難しいシーンを入れ込んでくるんですよ。そんなわけで、あの作品の数年前には闘牛シーンまで撮影したものです。彼は『バニシングINTURBO』にも、デモリション・ダービー(自動車破壊競争)にロールス・ロイスを出場させて壊してしまうシーンを加えてきてね。そこで、私たちはロールス・ロイスを1台借りて、さらに別のロールス・ロイスも廃品置き場で見つけました。見つけた方のロールス・ロイスには修理を加え、ペイントも施して、メインのロールス・ロイスとそっくりな姿に仕上げたんです。かろうじて運転できるかどうかという状態だったけれど、撮影には別に影響しない。撮影後には、制作クルーが"スピリット・オブ・エクスタシー(ロールス・ロイスのエンブレムなどに使われる公式マスコット)"を取り外して、台座を加えてロンに贈呈していましたよ」

「映画館の数は減りました。いずれは、ストリーミング配信の技術も時代遅れにしてしまうような革新的な技術も、間違いなく生まれてくることでしょう。何かしら新しいものが生まれてくれば、そこにはお金もたくさん集まるでしょう。私のよき友人、モンテ・ヘルマン監督は、自前の携帯電話だけでひとつの作品すべてを撮影しました。インディペンデント系の映画制作者の時代が戻ってきています」

書籍『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか―ロジャー・コーマン自伝(How I Made a Hundred Movies in Hollywood and Never Lost a Dime)』を著したコーマンは、そうした映画人たちが仰ぐ最良の師であろう。


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.)
原文翻訳:フルパッケージ Translation:Full Package
Words:Mike Renaut Portrait:Shutterstock OGER

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:フルパッケージ

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