空飛ぶマントヴァ人と呼ばれた天才レーシングドライバーの物語

Photo=Tazio Nuvolari Asia/ Tazio Nuvolari Muzeo

空飛ぶマントヴァ人(Il Mantovan oVolente)の愛称で呼ばれ、天才的なレーシングドライバーとして語り継がれているタツィオ・ヌヴォラーリ(Tazio Giorgio Nuvolari:1892年〜1953年)は、エンツォ・フェラーリに多くの勝利を呼び込んだ。
 
エンツォ・フェラーリは、その生涯の中で数多くのドライバーと契約して自らのマシンを委ねてきたが、それぞれのドライバーについて自ら積極的に評することはしなかった。時代や環境が異なり、マシンが進歩を遂げているからドライバーたちを直接比較することは無意味だという理由からだ。だが、エンツォの著書、『LEMIE GIOIE TERRIBILI 』( 1963年、Cappelli Editore刊、日本語版『サーキットの英雄』大石敏雄訳 弘文堂刊)など、いくつかの書籍をひもとくと、ヌヴォラーリが頂点に位置していたことは間違いないと思えてくる。
 
エンツォ・フェラーリは、自らがレーシングドライバーであった時代に、同じレースでヌヴォラーリが絶妙にコントロールされた四輪ドリフトでコーナーを駆け抜ける姿を目にし、その誰とも違うドライビングセンスが天賦のものであることを悟っている。エンツォは1898年2月生まれと、ヌヴォラーリより6歳年下であり、彼らは同じ時代を共有していたことになる。
 
タツィオ・ヌヴォラーリの輝かしいレース戦歴を振り返ると、アルファロメオの名がずらっと居並んでいる。ブガッティやマセラティ、アウトウニオンという、名だたる"名機"をドライブしているものの、アルファロメオとヌヴォラーリの結び付きは格別であり、まさに同義語のような存在であった。
 
1930年の第4回ミッレミリアで挙げた6C1750による勝利を皮切りに(ミッレミリア史上初の平均100km/h超)、37年シーズンにいたるまで、アルファロメオとヌヴォラーリの時代が長く続いた。だが、それらの多くはミラノのアルファ本社ではなく、モデナのエンツォ・フェラーリ率いるスクーデリア・フェラーリから出場しての勝利であった。
 
この時期のアルファロメオは、マシン、ドライバー、レースマネジメントの三拍子が見事に調和したことで達成された第二次大戦前の黄金期であった。すなわち、1923年9 月にエンツォ・フェラーリがフィアットから引き抜いたヴィットリオ・ヤーノが手掛けた6C1500/1750や8C2300/2600、P2やP3などのマシン。ヌヴォラーリたち強力なドライバー布陣。エンツォ・フェラーリのレースマネジメントである。
 

文:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Words: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)

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