「希少性はピカソ並みですよ」フェラーリ400スーパーアメリカ・エアロディナミコ、その超越の美に酔いしれる

Tom Shaxso

エンツォ・フェラーリは、レースの資金源とするためだけにロードカーを造ったことで知られる。その一方で、エンツォ自身が私的に愛用するほどラグジュアリーなモデルも造った。フェラーリ400スーパーアメリカ・エアロディナミコを、マシュー・ヘイワードが試乗する。



これがコート・ダジュールへのドライブならいいのにと、今ほどそう願ったことはない。彼の地まで快適に素早く、しかも最高にスタイリッシュにたどり着けるフェラーリがあるとすれば、それは 400スーパーアメリカだろう。今日のところは、オックスフォードシャーの田舎で我慢しよう。絵のように美しい風景には事欠かないし、かつてフェラーリのトップに君臨した至宝を楽しめるのだ。



究極のグランドツアラー


試乗するショートホイールベースのクーペ・アエロディナミコは、胸が痛くなるほど美しい。「ロールス・ロイスのような製造品質と、フェラーリのパフォーマンスを兼ね備えます。しかも、希少性はピカソ並みですよ」と笑うのは、現オーナーに代わってこの麗しい1台を販売しているマックス・ジラルドだ。

400スーパーアメリカは、当時のフェラーリが持つ技術の粋を集めたモデルである。フェラーリは最高級グランドツアラーの市場を狙い、最強のコンペティションカーだけのメーカーではないことを証明しようとしていた。

なるほど、275GTB/4などのヒリヒリとした印象とは大きく異なる。リアバンパーと組み合わされたテールライトや精巧なドアハンドルといった優美なディテールが、このモデルの格をぐっと引き上げている。ボンネットの下に搭載するのは、4リッターというフェラーリ史上最大のコロンボV12エンジンだ。新車当時、250GTOより高額だったことを考えれば、400スーパーアメリカの位置づけがイメージできるだろう。しかもそのオーナーは、実質、エンツォが直々に吟味して決めていた。



フェラーリで、ラグジュアリー志向のフラッグシップというコンセプトが生まれたのは、1950年代初頭だった。340、342、375アメリカといった製造数の極めて少ないプロダクションモデルがそれで、レース用から派生したエンジンとシャシーに、カロッツェリアの手になるボディを架装していた。この組み合わせを洗練させて生まれたのが、1955年の410スーパーアメリカである。巨大な5リッターというロングブロックのランプレディV12が最高360bhpを発生し、イタリアのカロッツェリアが様々なボディで腕を振るい、極めて裕福で目の肥えた人々のためのスーパーGTとなった。車名が示すように、活況なアメリカ市場に的を絞っていたが、製造数は4年間に35台のみだから、実際には、ひと握りの大富豪のためのモデルだった。

400スーパーアメリカは、このコンセプトをほぼそのまま踏襲し、フェラーリが持てる技術を残らず投入した集大成として、1959年に誕生した。古さが見え始めたランプレディV12に換えて、250に搭載する3リッターのコロンボV12の拡大版を採用。物理的には小型だが、同様にパワフルなエンジンだった。このシングルカムバージョンは、ボアとストロークをいずれも拡大して4リッターとし、ツインコイルとディストリビューターのセットを採用して、3基のウェバー46 DCF3キャブレターで混合気を供給した。

さらに、フェラーリのロードカーとして初めて4輪にディスクブレーキを装備した。車内スペースを求めるオーナーに配慮して、ロングホイールベースとショートホイールベースを設定。シャシーは250と非常によく似た構造で、フロントはダブルウィッシュボーンの独立式、リアは半楕円リーフスプリングで吊ったリジッドアクスルで、ラジアスアームで位置決めした。

400スーパーアメリカは1959~64年に合計46台製造され、2台のスカリエッティ製スパイダーを除き、ボディはすべてピニンファリーナが手がけた。著名なオーナーには、インドの大富豪のアガ・カーンや、フィアットの君主、ジャンニ・アニエリがいる。さらには、エンツォ自身も個人的に愛用していた。写真の400スーパーアメリカSWBクーペ・エアロディナミコのように、ヘッドランプがカバーで覆われた仕様は製造8台のみで、最も望ましいタイプといっても過言ではない。

3559 SA


完成した“3559 SA”はキネッティ・モータースを介して、アメリカに住むオーナーに1962年に納車された。塗色はブルーセラ・イタルヴェル、インテリアはブルーコノリーのレザーという指定だった。最初のオーナー、オハイオ州トリードのC. O. マーシャルJr.は6年間使用した。

フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカの第5回年次ミーティングでは、審査員特別賞を獲得している。3559SAは1968年にキネッティに戻り、新しい排気システムを装備して、エンジンも1万6000マイルのオーバーホールを受けてから、売りに出された。しかし、マーシャルが心変わりしたのか、それとも買い手が見つからなかったのか、次のオーナーに渡ったのは1972年のことで、走行距離は2万3000マイルになっていた。

新オーナーは、テキサス州キャロルトンのマイケル・カーで、ジョージア州タッカーのフェラーリ正規ディーラー、FAFモーターカーズに整備とメンテナンスを任せていた。カーは初期の頃に、ボディを赤に塗り替え、サンルーフを付け加えて、インテリアは淡いクリーム色のレザーに変えた。400スーパーアメリカは20年近くカーの元に留まったあと、スイスに渡り、1989年にグラバー・オートモビールで売りに出された。

次のオーナーは短期間で手放し、これを1989年10月にアーノルドとヴェルナー・マイアーが購入した。マイアーは、1993年に“3559SA”をチューリッヒのエディ・ヴィス・エンジニアリングに送って、フルレストアを施した。あわせて、塗色をオリジナルのブルーに戻し、サンルーフも取り外したが、クリーム色のレザーインテリアは変更しないことにした。その後、ペブルビーチのほか、イタリアで行われたフェラーリ50周年イベントや、クラブ・オブ・アメリカの第32回年次ミーティングなど、様々な国際イベントに参加した。



スーパーアメリカは、2003年に再びアメリカのコレクターが購入し、2005年に第14回カヴァリーノ・クラシックに参加した。フェラーリの歴史家、マルセル・マッシーニの鑑定と資料作成を受けて、2011年にモントレーでRMオークションズに出品され、これをレーシングドライバーのスキップ・バーバーが209万ドルで落札した。バーバーは次のカヴァリーノ・クラシックに出品しようと考え、満点に近い車に贈られるプラチナムアワードの水準に引き上げるため、ただちにスペシャリストのグレッグ・ジョーンズに送って、必要な作業を託した。



はたして、2012年に再び舞台のブレーカーズホテルに舞い戻ると、スーパーアメリカはSpeciale/SF/SAのクラス10で、見事プラチナムのトロフィーを獲得した。また、フェラーリ・クラシケの認定証である"レッドブック"も手に入れ、完全なマッチングナンバーであることが証明されている。現オーナーはイギリス在住で、2013年にヴィラデステで開催のRMオークションにおいて218万4000ユーロで入手した。ヒストリーも十分立派だが、何ひとつ失われたものがなく、壊れたこともないという点で、いっそう稀有な1台といえる。

走りを堪能する


私たちは、まず外観を細部まで堪能した。1日中でも眺めていたくなる車だ。その真の姿を解き明かせると思うと、うずうずする。このスーパーアメリカは、おそらく同時代のどのフェラーリにも増して、美しく完璧に仕上げられた車だという予感がする。ドアを閉めたときの音さえ重厚感があって、いかにもラグジュアリーなモデルらしい。



ショートホイールベースのため、キャビンはこぢんまりとした印象だ。シートベルトを締めると体が包み込まれるように感じるが、フットウェルには十分な奥行きがある。トランクの大半はスペアタイヤで占められているものの、シートの背後に荷物を置けるスペースがある。これはGTとして1ポイント獲得といえるだろう。



キーを回してスターターを始動すると、堂々たるパワープラントが轟音を上げて目覚めた。血筋は隠しようがないとはいえ、この精巧なエンジニアリングの逸品には、どこかほかとは違う存在感がある。アイドリングの音は低く、私がこれまでに経験したもっとレースカーの血が濃いコロンボ・エンジンほどの荒々しさはない。スロットルペダルは踏み始めこそ抵抗を感じるが、そこを超えて踏み込むと、エンジンがたちどころに反応する。その獰猛さに、私は不意を突かれそうになった。薄いベールをまとってはいるけれど、ボンネットの下に潜むV12は紛れもなくレースエンジンなのだ。

クラッチはかなり重いものの、実は低速でも扱いやすい車なのではないかという気がする。エンジンの強大なトルクが即座に感じられ、取り回しも発進も驚くほど楽なのだ。私たちはまず、緩やかにカーブする幅の広い飛ばせる道に向かい、スーパーアメリカに本領を発揮させることにした。 このフェラーリはシャシーもエンジンもかなり大ぶりだが、その割には車重が1250kgと比較的軽いので、感触もしなやかで、ほとんど苦もなくスピードに乗る。高めのギア比もこの車にふさわしくうまく機能し、3速でも40mphあたりから100mph超までたっぷりパワーが湧き出す。高速道路並みの速度でトップにシフトアップしたら、あとはゆったりクルーズできる。

新品同様の美しいコンクール・ウィナーだけに、狭い道を抜ける際は緊張を強いられるだろう。とはいえ、細いウッドリムのステアリングは驚くほどフィードバックを伝えてくるし、ノンアシストのセットアップによってフィールも正確なので、思いどおりの位置に容易に持っていくことができる。スピードが出る、流れるような道のほうが得意であるのはたしかだが、サイズはコンパクトだから、過度に萎縮する必要はない。

速度を出さないときも、サスペンションは安心感のある硬さで、しかも乗り心地は常に快適だ。小さなコブは不平ひとつこぼさずに吸収し、深い轍や大きな凹凸も、まったく心配は無用だ。とはいえ、真の落ち着きを見せるのは50mphを超えてからであり、まさに路上をなめるように走る。快適性のレベルは常にスポーティーなモデルのそれだが、長く走行しても、不快に感じたり気に触ったりすることがまったくない。その一方で、軽量ゆえに、常にキビキビとした印象だ。ブレーキは自信を与え、リニアな感触で、これには硬いペダルが功を奏している。この車なら、長距離ドライブをすることも容易に想像できる。



長く運転したにもかかわらず、スーパーアメリカとすごす時間が間もなく終わるのが惜しくなってきた。そんなとき、ちょうど目の前に広々とした直線道路が開けた。もう少し美声を響かせてもらわなければ、失礼というものだろう。少しブリッピングして3速から2速に落とすと、回転を上げられそうだと勘づいた12本のピストンが小躍りしているように私には聞こえた。

4リッターのコロンボは、クルージングも喜んでこなす様子だったが、4000rpmを超えると別種の獣に変貌した。5500rpmを超えたあたりで3速にシフトアップ。どうやら、この道では長さが足りず、狂乱のトップエンドまで回してそのパフォーマンスをフルに試すのは無理なようだ。スーパーアメリカは7000rpmで最高出力を発生し、4速を長く保持すれば、最高速は160mphに達する。フェラーリのこの主張を疑う理由が私には見当たらない。 このスーパーアメリカは、非常に面白い組み合わせの様々な能力を見せるので、好奇心をかき立て、しっかり組み合ってみたくなる。ジラルドはこうまとめた。

「今まで、このモデルの製造品質を称賛する人はいなかったと思いますが、驚異的ですよ。すべてハンドメイドで、何ひとつ手を抜いていない。ディスクブレーキや独立式フロントサスペンション、オーバードライブなど、当時のフェラーリが持てる最高の技術を盛り込んでいました。それだけでなく、コロンボ・エンジンは頑強でトラブル知らずですし、ギアボックスも抜群で、シャシーは絶対に壊れません」

そのうえ、フェラーリの中でもこれ以上ないほど希少性が高いのだから、400スーパーアメリカは見落とされてきたといわざるを得ない。それも奇妙な話だ。他のフェラーリは製造数の少なさで一目置かれているのだから。注目度が低い理由は、モータースポーツとの直接的な関連がないことかもしれない。だからスーパーアメリカは、ひと握りの名高いコレクターだけが知る、謎の存在であり続けているのだ。「クレイジーな話ですが、いかに特別な車かを考えれば、たいした金額ではありません」とジラルドはいう。

いかほどかというと、現在は300万ポンドを超えたあたりだ。なぜその程度で留まっているのだろうか。ジラルドの考えはこうだ。「真価が知れわたるほど市場に出てこないためです。マクラーレンF1や250GTOは、1年か2年に1度は売りに出される点で有利です。話題になりますし、次に買う人も、自分が買う頃には少し高くなっているだろうと予測が付きます。しかし、このモデルはあまりにも数が少なく、優れたコレクターの手元にあるため、滅多に売りに出ません。市場に出てくる見込みがないので、あまり機運が高まらないのです」



私はまだキーを返しておらず、時間ならまだある。スーパーアメリカのような車があれば、コート・ダジュールはそれほど遠くない。今こそ編集長殿に昇給を掛け合うときかもしれない。


1962年フェラーリ400スーパーアメリカSWBクーペ・エアロディナミコ
エンジン:3967cc、V型12気筒、OHC、ウェバー製46DCF3キャブレター×3基
最高出力:340bhp/7000rpm 最大トルク:42.0kgm/4000rpm
変速機:前進4段 MT+オーバードライブ、後輪駆動
ステアリング:ウォーム&ローラー
サスペンション(前):不等長ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
サスペンション(後):リジッド式、ツインラジアスアーム、半楕円リーフスプリング、同軸スプリング、テレスコピック・ダンパー
ブレーキ:4輪ディスク 車重:1250kg(乾燥重量) 最高速度:260km/h  0 100km/h:9 .2秒


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵
Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curatorsLabo.) Translation: Megumi KINOSHITA
Words: Matthew Hayward Photography: Tom Shaxso
取材協力:Girardo & Co(girardo.com)

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.)

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