「試乗を終えた今、私は恋に落ちた気分だ」 熱く、軽やかなマセラティA6G/54ザガート

Dean Smith


カントリーロードで走りを堪能する


私たちは、これほどの名車を試乗できる喜びで頭をいっぱいにしながら、イギリスのヒッチンにあるスペシャリスト、マクグラス・マセラティに到着した。そのワークショップの中央には、すぐに走り出せるように、燃料を満たし、しっかり暖機した状態でザガートが待っていた。幸運にも、今朝は気持ちのよい秋晴れだ。昨日は肌寒い雨降りで、明日も同じ予報である。どうやら自動車の神様が味方しているようだ。

マセラティの外観は、これ以上ないほど完璧である。まるでハンプトンコートかヴィラデステに出品されて戻ってきたばかりのようだ。ジョナサンはこれを使うこともやぶさかではなく、アメリカとヨーロッパで主要なラリーに出走しているほどだ。私はそれを知っているから心強いが、それでもマクグラスのスタッフの間に、ある程度の緊張が漂っているのが感じられた。この車を守りたいと思うのは当然だ。その視線を浴びながら、私は完璧なしつらえの小ぶりなドライバーズシートに滑り込み、息を飲むほど薄く、羽のように軽いドアを閉めた。

コンクールのスーパースターを、きれいに刈り揃えられたハンプトンコートの芝生ではなく、ハートフォードシャーのあばた面の道へと連れ出す。宅配業者のバンや子どもの送り迎えをするSUVに混じって、現代の車が行き交う中を走るのは、いったいどんな感じだろうか。

まずは慌てずに慣れるところからだ。ドライビングポジションは典型的なイタリア風で、腕を伸ばし、両膝を開いて曲げた姿勢になる。スロットルペダルがブレーキペダルよりやや高い位置にあるため、右の膝はさらに上げることになる。ウッドリムの大径のステアリングも、ダッシュボードに対してかなり高めの配置だ。さらにスポークで、速度計とレブカウンターの大半が隠れてしまう(レブカウンターが 8000rpmまであるところがイタリア車らしい)。少なくとも、「olio」「 benzina」「 acqua」(オイル、燃料、水)とある補助のメーターは、美しいペールグレーの盤面がちゃんと見える。

エンジンが温まっていたので、ウェバーキャブレターに燃料を送る必要もなく、ダッシュボード中央のキーを180°回して押し込み、スロットルをわずかに開けるだけで、ストレート6が息を吹き返した。カタカタ、バタバタと様々な音が混じり合ってにぎやかだ。軽く吹かすと素晴らしい吸気音が響き渡った。その瞬間、右のペダルに対するエンジンの鋭いレスポンスに驚く。軽く触れただけで回転が跳ね上がる。

一方、ステアリングは予想どおり重い。とはいえ、速度が上がるまでのあいだだ。エンジンがエネルギーに満ちあふれているのとは対照的に、トランスミッションはせかすことができない。クラッチは少々重い程度でリニアな感触だが、美しく磨き上げられた金属のシフトゲートでは手をゆっくり動かさないと、シンクロが負けてしまい、4段ギアボックスを滑らかに変速できないのである。ほかの部分は非常に軽快で元気いっぱいなので、「1、2、シフト」と唱えて自分を抑えなければ、不快なギアの歯ぎしりを避けられない。



こんな調子だから、最初の数マイルは心拍数が上がりっぱなしだった。その間も、自分を取り囲むアルミニウムパネルが極めて薄くもろいことを、私は痛いほど意識していた。車体はかなり長い(ホイールベースを延長して小さな後席を設けたところにも、GTを狙ったことが伺える)が、横幅は現代の基準からすると心地のよい狭さだ。コクピットはこぢんまりとした親密な雰囲気で、傾斜の少ないラップアラウンドのフロントウィンドウからは美しいボンネットが見え、四方の視界も良好。それでも、マクグラス社から続く狭い道では、カメラマンのディーン・スミスがレンジローバーで前を走ってくれて、ありがたかった。おかげで、無理にすれ違おうとする対向車はいなかった。



こうして45分ほど運転し(ダンスタブルの市街地では、通行止めのためノロノロ運転を強いられた)、最初の撮影のために道路脇に車を駐めたとき、私はどこかほっとした。

けたたましいエンジンと意固地なギア、重いステアリング、回転を合わせてシフトダウンしたいのに、スロットルペダルが高いせいでヒール&トウができない、そのもどかしさ…。ひと息ついて、手足のこわばりを振り払うのに、ちょうどいいタイミングだった。

改めて見ると、実に美しいマシンだ。リアのふくらみとサイドウィンドウは、どことなくDB4GTザガートを思わせるが、ほかにはない独特の魅力がある。他のザガートボディのA6Gと違って、これはダブルバブルルーフではない。ディテールも魅力的で、アルミニウム製のドアハンドルはボタンを押すと飛び出す埋込式であり、やはり軽量アロイ製のバンパーも美しい造形だ。

ボンネットを開けて、ツインプラグのシリンダーヘッドを覆う結晶塗装のカムカバーや、3基のウェバー40DCO3をじっくり鑑賞する。ノーズには三角形に組まれたシャシーチューブが見える。エンジンはリア寄りに搭載されており、前端が車軸とほぼ同じ位置に来る。後方に押し込まれている証拠に、カムシャフト駆動のディストリビューターはバルクヘッドの奥に消えて見えない。これも車内の大音量の一因だろう。エンジンが、ドライバーのすぐ近くにあるのだ。

トリプルキャブレターの 2リッター DOHC直列6気筒エンジンから、150bhpものパワーが湧き出す。

その後も撮影場所を変えるために運転するたびに、私は徐々にリラックスしていった。ステアリングはほとんど直立しており、この時代の車では難点にもなりかねないが、実際のところ、なかなかのものだ。ステアリングアームが不等長でアイドラーアームがないという、やや変わった仕様だが、うまく機能している。反応がよく敏感で、ノンアシストにしてはかなりハイギヤードなので、大きく切る必要があるのは、よほどの急カーブだけだ。シートは小ぶりだが、両サイドが体を包み、かなりのサポート力があるので、コーナーでもステアリングにしがみつく必要はない。ボディのロールはよく抑えられ、アンダーステアにも果敢に抵抗して、A6G全体が一体となって動く。ペブルビーチで履いた光り輝くボラーニ製ワイヤーホイールに、か細く見えるピレリのチントゥラートを履くが、そこから驚くほどのグリップを引き出すのである。

したがって乗り心地はがっしりしている。フロントサスペンションのブッシュがすべて真鍮製だというのも意外ではない。リアは時々飛び跳ねるが、リジッド式でリーフスプリングだから想定の範囲内だ。何よりも強く感じるのは、シャシーがピンと引き締まった印象で、余分な遊びや嫌な驚きがないことである。この点でも光るのが車重の軽さで、きびきびとした挙動につながっている。どこを取っても、のっそりした印象が一切ない。ブレーキングも同様だ。前後ともかなり大型のベンチレーテッド式ドラムで、ペダルフィールも悪くない。反応は一瞬遅れるものの、押さえ込む車重はたった850kgである。現代のEVなら、バッテリーパックだけでもっと重いだろう。

2リッターのツインカムエンジンに負荷がかかったときのサウンドは最高だ。レーシングカーをルーツに持つことを物語るように、6気筒が耳をつんざく咆哮を上げる。カムに乗るのを待ち、スロットルを全開にすると、3500rpmあたりから“自主規制”の6000rpmまで、鬼気迫るパワーデリバリーを見せ、猛烈な吸気の轟音を切り裂いて、エグゾーストノートがこだまする。パイプがドライバー側のサイドシルのすぐ下を走っているので、いっそう増幅されるのだろう。公道使用に合わせてエンジンをややフレンドリーにしたとはいえ、それはほんのわずかだ。表の顔のすぐ下にレーシングカーが常にひそんでいて、ひとたび回転を上げれば、たちどころに牙を剥く。マセラティは最高速125mph(約200km/h)を謳ったが、それも過度に楽観的な数字ではない気がする。フライホイールで計測した出力が150bhpというのも納得だ。

時に反抗的なギアボックスも、コツがつかめてゆっくり操作できるようになれば、気にはならない。気持ちよく操作できるシフトゲートで、とりわけ2速から3速へは、オイルをたっぷり施したように心地よく動く。シフトダウンするときのブリッピングも、ブレーキとスロットルペダルの間で右足を踊らせて、うまくこなせるようになる。

A6Gザガートのような車について書いていると、我を忘れてしまう。文字どおりにも、気持ちの上でも、ひりひりさせる要素があるのだ。レーシングカーの遺伝子と魂を持ち、生命感に溢れた車だが、GTと呼べるだけの落ち着きも兼ね備える。あくまでも“辛うじて”ではあるが。

これを継いで1957年に登場した3500GTは、また違うタイプのマセラティだった。ロードカーとしての妥協が少なく、はるかに扱いやすくなったが、同時に、より大きく、重くもなった。製造数は大幅に増え、サプライヤーから買い入れた主要コンポーネントを使用した。サスペンションはイギリス製、ギアボックスと車軸はドイツ製だ。対してA6Gは、完全なマセラティ製である。純粋さを求めるなら、こちらだろう。

マクグラス・マセラティの社長、アンディー・ヘイウッドもこう話す。「公道走行可能なレーシングカーというのは、やはりロマンにあふれた理想形です。それを経験できるなら、どんな不都合も我慢するという人は大勢います。A6G/54は、いわば次善の選択です。300Sのような純粋なスポーツレーシングカーに比べて、きちんとしたボディを持ち、わずかにデチューンしたエンジンを搭載しますから。実のところ、3500のほうがずっとドライブしやすい車ですよ。ただし、あの理屈抜きの興奮はありません」

まさにそのとおりだ。あれほど理屈抜きの興奮を、あれほど美しいパッケージで味わえることは稀有である。私はこのあたりで筆を置いて、少し横になったほうがよさそうだ。

レースの血筋を受け継ぐA6Gにとって、ワインディングロードは最高の遊び場となる。


1956年マセラティA6G/54ザガート
エンジン:1985cc、直列 6気筒、DOHC、ウェバー製 40DCO3キャブレター×3基
最高出力:150bhp/ 6000rpm
最大トルク:17.0kgm/ 5000rpm
変速機:前進 4段 MT、後輪駆動
ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
サスペンション(後):リジッドアクスル、1/4楕円リーフスプリング、テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
ブレーキ:ドラム 車重:850kg(推定)
最高速度:200km/h(公称値)


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)
原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA 
Words:Peter Tomalin Photography:Dean Smith

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.)

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