「鉄道の185年(185 ans du Rail)」展で、パリ周辺の鉄道の歴史をじっくり振り返る

Tomonari SAKURAI

今年は日本の鉄道が開業して150周年。1872年、明治5年のことだ。それよりさらに35年前の1837年にパリ-サン=ジェルマン=アン=レイ間が開通している。パリ周辺で開通した初めての鉄道だ。日本と同じく蒸気機関車はイギリス製。ただし、客車はフランス製だった。フランスではそれよりも前、1827年に古くから武器工場の町として有名なサン=テティエンヌからアンドレジュー間で最初の鉄道が開通している。パリ周辺の鉄道開通から185年と、このサン=ジェルマン=アン=レイに今年、トラム13番線が開通したことを機に“185 ans du Rail”(鉄道の185年)展が開催された。

会場となったのはサン=ジェルマン=アン=レイにあるESPACE PAUL et ANDRE VERA。ポールとアンドレ=ヴェラは庭園デザイナー、画家、イラストレーターとしてこの町で活躍したアーティスト。その美術館のスペースを使っている。

現在、サン=ジェルマン=アン=レイとパリを結ぶ鉄道はRER(Réseau express régional d’Île-de-France、イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網)のA線が通っているが、このRERが運営し始めて50周年という節目にも当たるそうだ。

今年の夏にフランス都市交通博物館でも紹介したが、蒸気機関やバス、電車が登場する前は馬が客車を引く馬車が街の中を、あるいは街と街の足となっていた。パリと繋がる前に馬車に代わり蒸気で走るトラムが活躍していたようだ。最初はパリから1つ手前のルペックという街まで乗り入れていた。というのはサン=ジェルマン=アン=レイは高台になったりセーヌ川を渡らなければならなかったりと橋をいくつか作っていかなければならなかったから。

1927年電化されて初めての電車が到着したときの写真。

サン=ジェルマン=アン=レイはルイ14世が生まれた王族の城があり、第二次大戦中はドイツが占領していた時期にはドイツ軍フランス本部が置かれていたこともあり、連合軍による爆撃でその橋が破壊されたなどの記録も残っている。

1944年連合軍による爆撃で破壊された鉄橋。

会場に訪れる人たちはそれぞれの経験を思い起こして眺めている。開通当時から現代までの切符が展示されていたが、僕がフランスに来るようになった25年ほど前には確かこの色の切符だったな…なんていうふうに思い出した。

歴代の切符。中央上の大きなものは1901年の26週目の1週間の定期。右下の方にある丸に人の横顔のようなマークのあるモノが最近のもの。横顔のように見えるのは、パリを流れるセーヌ川。

当時の資料を眺めながら親が子ども達に語る当時の思い出話を、そこかしこで聞くことができ、小さな展示で実際の車両などはないにもかかわらず来場者も多く賑わっていた。

小さな展示にもかかわらず常に来場者が絶えない。

1976年までの駅。左上の建物がお城だ。1977年にはさらに先へと進み、駅は地下へと移された。

これが現在のお城。駅を出てエスカレーターで地上に出るとこの城が迎えてくれるのだ。

このサン=ジェルマン=アン=レイにはその185年前に開通を記念して作られたチョコレートを今も作るショコラトリーがある。日本だったらこういった展示の場でお土産にするのに…。それと、開通したばかりのトラムだけど、開通してすぐなのに時間通り来ないし、ドアが開かなかったりと、21世紀になっても185年前とあまり変わってないのかな?と思えるのもフランスならではなのかもしれない。

2022年今年開通したばかりのトラム。時間通り、トラブルなく走れば便利なんだけど。


写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

写真・文:櫻井朋成

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