一般公開は年3回のみ!フランス都市交通博物館でバスやトラムの歴史に触れる

Tomonari SAKURAI

「パリ横断」でも見かける昔のバス。これはフランス都市交通博物館(Musée des Transports Urbains de France)のもの。前々から気になってはいたものの、常に閉まっていて訪れるチャンスがなかった。8月はバカンスでイベントもない中、なにかネタはないかと探していてふとこの博物館を思い出した。連絡を取ると、なんと!「今週の土曜がその開館日です」という。何という偶然。この博物館、公式には年に3回しか一般公開しない。ここは地下鉄やバスを運営するパリ交通公団(RATP)が運営するものだとばかり思っていたが、運営はこの博物館のために組織された交通博物館協会によるということだ。

パリ交通公団は古い車両を保存することに興味はなく、この協会に車両を進呈しているという。そして博物館の場所は、それがあるシェル市(Chelles)が無償で貸している。協会の人たちは皆ボランティア。車両の保管やレストアにはもちろんコストがかかる。そのため、走行可能な状態のバスを貸し出したりすることで収益を得て維持しているという。例えばパリ市などが記念日に古いバスを走らせるとか、映画やテレビの撮影などだ。正直、僕はその雰囲気などは好きでも特にバスやメトロに興味はあまりなくパリ横断などで見かける程度だったが、今回この博物館開館にあわせて訪れることで新鮮な驚きがたくさんあり、非常に面白かった。

この日は最寄り駅までの往復をコレクションのバスが走行した。無料で乗ることができる。

馬が車両を曳いていた馬車の時代から、エンジンを搭載したバスへと変化したのが1906年。最初のバスはほとんど馬が曳くバスと同じようなもので、馬がいなくなって運転席とエンジンが付いたようなものだった。意外なことに2階建てだ。2階建てバスというと現在も走っているロンドンバスをイメージするが、パリの最初のエンジン付きバスは2階建てだったのだ。

馬車の時代から公共交通は発達していた。馬からエンジンになった第1号が手前の2階建てバス。1906年製BRILLIÉ-SCHNEIDER P2。

ところが重心が高いので揺れが激しく、乗客にけが人も多く出たことから2階を廃したモデル(メイン写真)になったのが1916年のこと。エンジンは4気筒のソレックス製。後に自転車バイクで大成功するソレックスはこんな大きなバスのエンジンを作っていたのだ。タイヤはまだゴムのソリッド。ミシュランじゃないのか?と聞くとその当時はまだこのバスの重量に耐えられるタイヤの性能はなく、また高価だったからと言う。

初めてのエンジン付きバスのタイヤはゴムのソリッド。この重量を支える空気入りタイヤはまだ安定してない上に高価だった。

第二次大戦後、戦勝国といえども戦後は物資が不足が続く。燃料もそのひとつ。比較的余裕のあった都市ガスをそのまま使用するバスが戦後しばらくパリを走ったという。2階建てくらいの高さのバスだが上半分はガスタンクだ。

ガスタンクが納められた巨大なルーフ。

フランスの各都市で活躍した移動手段としては、トラムも挙げられる。一時期は圧搾空気を動力源とした車両も登場した。車自体が黎明期のころに、このような色々な試みが行われていたのが興味深い。

地上では路面電車トラムも発展していく。中央の赤いAUTOMOTRICE MÉKARSKI はナント市の路面電車で動力は圧搾空気。

圧搾空気で走るトラムの運転席。駆動系に放出された空気から有効なエネルギーを得るためにそれを暖め膨張させる仕組みが使われている。

地下鉄にはパリの紋章が誇らしげにあしらわれている。こういった初期の車両も美しい。

この博物館に保存されている唯一のメトロは1927年のモデル。パリ市の紋章が着く。

バスにしてもメトロにしても、エンジンなどの動力を使うというだけであって、現在のようにブレーキやステアリングにアシストがあるわけでもない。当時のドライバーは、まさに職人のような技を必要としていたという。

もうひとつ、都市の交通としてタクシーがある。第一次世界大戦では兵士を前線に運び出すためにパリのタクシーが活躍したことは有名だ。その頃のタクシーはルノー。その後1933年頃には、ルノーのKZ11がタクシーとして使用された。乗客は後部座席にゆったりと座り、前席がトランクとなっている。後部座席をゆったり取るためにトランクスペースがないからだ。大きい荷物のためにドアを開けっぱなしで走れるような仕組みになっている。タクシーのナンバーの末尾にはタクシーを表すG7が表示されていることから当時タクシーのことを「G7」と呼んでいた。その名残で現在でもタクシー会社のひとつがそれを会社名として使用している。

タクシールノーKZ11。タクシー専用車としては最後のモデルとなる。1933年のモデルだ。

助手席部分がトランクルーム。その分後部座席はゆったり。

この博物館で案内してくれたボランティアはとにかく事細かに車やバスの歴史を話してくれる。てっきりリタイヤしたバスのドライバーかと思ったら、郵便局の元職員だった。仕事が好きでないので早期退職し、大好きなバスの博物館でボランティアの道を歩み始めたということだ。

バスのドライバーも当時の制服を見に纏う。手荷物がウィスキーとたばこなのが気になる…

昔の鉄道やバスなどを見ていたら、昭和の時代は電車の中でもたばこが吸えたことを思い出した。そこで、最後にパリの交通機関ではいつ頃までたばこが吸えたのかと聞いてみた。なんと、パリの交通機関では最初から喫煙を禁止。そしてつばを吐くのも禁止されていたという。

客席の定員は25席。禁煙、つばを吐くのは禁止とある。

来館者の多くが昔を懐かしんでいる様子だった。僕はパリで生まれ育ったわけではないのでそれらのバスやメトロに乗り込んでも記憶が蘇るようなことはない。それでもどことなく懐かしさを感じるのが、ただの働く車ではなく人を運んだ、人々の足となった車両だからだろうか?硬く、決して乗り心地の良いわけではない木のシートに腰を掛けると、その時代にタイムスリップしたような気分になれる空間だったのだ。


写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

写真・文:櫻井朋成

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