日本人ゲストは初めて!? 歴史を肌で感じる「ラ・フェルテ修道院」に泊まる

Tomonari SAKURAI

レストランの格付けの基本として世界的にも有名なミシュランの星というものがある。それはミシュランが1900年に発行した赤本、ミシュランガイドに端を発する。ミシュランはタイヤメーカーであり、タイヤを消費してもらわなければ新しいタイヤは売れないわけで、そこで考案されたのがミシュランガイドである。フランス国内の名所を案内したガイドブックを製作し、それを見て「ドライブに行きたくなりますよね?」と誘いをかけるのだ。ドライブする機会が増えれば走行距離は増え、タイヤを消費する。そして、そのガイドブックでは名所だけでなくレストランの格付けも行っていったのだ。

ということで、今回は僕が泊まった宿のお話をしたい。ブルゴーニュ地方、食の街ディジョンから1時間ほどの所にあるラ・フェルテ修道院。ここが今回の宿である。この修道院の始まりは1113年。近くにはもっとも古い世界遺産のシトー派の修道院があり、その最初の子院として創設された。度重なる地域の抗争や盗賊による強奪から要塞化したものの宗教戦争により一部を消失。再建のために修道院長が一部を売却し、そこで得た資金で院長の邸宅を建てた。それが18世紀に完了すると今度はフランス革命が起き、財をなした僧侶達はイタリアなどに亡命した。そこでこの邸宅は売却されたのだ。

これを手にしたのがテナール家で、現在はその9代目となる。テナール家は現在まで特に科学者と縁が深く、鉛筆を発明したニコラ=ジャック・コンテの娘と結婚した祖先がいたり、曾祖父は顔料のコバルト・ブルー発明した科学者だったりする。そういった理由もあり、貴族制度がなくなったりした後も、広大な城や土地を所有し、この修道院跡を継続して受け継げている。

修道院を護った門。この門の上の窓、これが泊まった部屋の寝室。

修道院という名から想像していた佇まいとはちょっと違い、12世紀ではなくどちらかというとヴェルサイユ宮殿などに近い、見慣れた雰囲気の建物が母屋だ。18世紀の建て替えで、邸宅は城になっていたのだ。僕が泊まった部屋は修道院の見張りのために建てられたところ。入り口から階段を上がり2階がリビング、3階が寝室、4階が風呂場というお部屋だ。ちなみにこれで2人使用で1泊100ユーロ(約1万4000円)というお値段だ。

部屋からの眺め。夜10時前の夕暮れ。

朝食は母屋で。

まだバカンスシーズン前のため当主も時間的に余裕もあるのか、お城の中を案内してくれた。そこはたしかに18世紀のヴェルサイユ宮殿の時代と同じスタイルである。

この当時は廊下がなく部屋が繋がっているのが特徴。ヴェルサイユ宮殿も同じだ。

…と思っていると、壁にはルイ16世とマリー・アントワネットのレリーフが。修道院として神に仕えるのと同時にフランスの王であるルイ16世とマリー・アントワネットに仕えているのだということかららしい。ワードローブの部屋に置かれた古いドレスは当時のもので、現当主の曾祖母から伝わり、年に一度、一家でこれを着て祝う日があるという。

ちょっと傷んではいるがマリー・アントワンットを描いているレリーフ。向かいの壁にはルイ16世が有るのだ。

曾祖母からのドレス。毎年8月15日の聖母被昇天祭にこれを着て祝う。

一部は博物館のようになっており、一族が発明した物、コバルトや、鉛筆などが展示されている。また、旅行で使った当時のカメラや写真なども展示されていて興味深い。

19世紀のカメラ。ステレオカメラやビュアーがある。当時祖先が撮った写真も保存されている。

この母屋の前で撮った100年以上前の写真。今と変わらない。

現在はこのように宿や、大広間を結婚式などの会場として提供するビジネスを行っている。そういったビジネスに切り替えて30年。なんと日本人は僕が初めてのお客さんだという。歴史ある国を訪れてその歴史を肌に感じる宿に泊まれる贅沢さは、ドライブをより一層楽しいものにしてくれると感じたのだった。


写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

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