シトロエンSMがまさかの320km/hを叩き出す!? 世界最速記録に挑んだ男の物語

Dennis Noten



レース用のホーリー750キャブレターを使い、SMは170mphを超える新記録を樹立した。ただし、“順風満帆”ではなかった。

「当時は、ドラッグパラシュートの使用が義務づけられていなかったんだ。私は少々横着者なので、あとでパラシュートを畳むのは面倒だと思って作動させなかった。170mph超では150mphのときほどブレーキが利かないことに気づいて、少し焦ったよ。計測ライトを通過したら、ランオフエリアはたった3分の1マイルほど(約500m)で、その向こうでは観客の車やバイクやキャンピングカーがコースを横切っている。そこまでにレーシングカーをスローダウンさせて制御下に置かなければならないんだ」

彼は控えめにこう言った。「あれは少し怖かったね。ブレーキが鉄屑になるまで踏んだ。あれ以来、パラシュートは必ず開くことにしたよ!」

ソルトフラッツの天候不順で、次の速度記録挑戦は1984年に持ち越された。このときは190mphに達したものの、目標には惜しくも届かなかった。しかし、1985年にはすべてがまとまり、ついにハサウェイは200.002mphを記録した。これほどの速度では、エンジンは3回の走行にしか耐えられなかったが、ハサウェイはヘリコプターのツインクーラーを使用して、オイルクーラーの改良を重ねた。ついにはドライサンプ潤滑システムを造り上げ、エンジンの信頼性を大幅に向上させた。

故ジェリー・ハサウェイは、独学でアメリカ屈指のSMスペシャリストとなり、このツインターボ搭載ソルトフラッツ・レーサーを造り上げて、世界最速記録を更新した。

1986年はボンネビルを欠場し、代わりに速度記録車を搭載するフラットベッドと、これを牽引するSMピックアップの製作に時間を費やした。ピックアップは、牽引する姿が美しくなるように延長した。ハサウェイらしく、調整装置もこれでもかというほど組み込んだ。



翌年は、妻のシルヴィアもチームに加わって復帰し、大成功を収めた。「彼女は私のタイムを破って、202.361mphを記録したんだ。推定出力は530hpに上るよ」

速度記録に挑む冒険はここで幕を閉じ、トレーラー一式はハサウェイの本社に誇らしげに展示された。

【後編】に続く


翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA
Words: Marc Sonnery Photography: Dennis Noten

オクタン日本版編集部

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