「卵」の愛称で呼ばれた先進的なフェラーリ|166MMがこの形になった理由

1950年フェラーリ166MM/212エクスポート Uovo フォンタナ製ボディ(Photography:Remi Dargegen)



一度乗ったら病みつきになる
ウォーヴォのヨーロッパにおける活躍はここまでである。1953年10月、車はメキシコに渡ることになる。メキシコといったらカレラへの出場が思い浮かぶだろう。しかしそれに参加するのはイグナチオ・ロザーノに売却してからの話となる。カリフォルニア・ニューポートビーチ出身のロザーノは、ロサンゼルスでスペイン語の雑誌『ラ・オピニオン』を発行する出版社の経営者で、レースは趣味。1954年シーズンを、ペブルビーチのレースを含めてこの車で戦おうというのだ。

その年の後半、車は通常のオーバーホールを受けるためにマラネロに送られたが、すでにオーナーはアメリカ人のデイヴ・アンドリューズに変わっていた。彼はエンジンレスの状態で購入し、1956年11月に1951年のトリノ・ショーで紹介されたスタビリメンティ・ファリーナ・クーペから外した212インター用のエンジン(ナンバー0107ES)を載せたのだ。

このあとウォーヴォは1970年代から80年代にかけて、何人かのオーナーの間を転々とし、1986年の復刻版ミッレ・ミリアの前にレストアを受けていた。その2年後、イタリア人が買い求め、車は祖国に戻った。

このように多くの旅をしてきた車だが、そのぶんこの車が歩んだ歴史は重いものがある。RMサザビーズのオーガスティン・セバティエ-ギャラットが私にキーを預けてくれたとき、私は肩にズシリと重いものを感じた。この車は、2017年8月に開かれるモントレーのオークションで競売にふされる。

車は写真で見るよりもずっとコンパクトだった。また、金属的な容貌も想像以上に魅力的だった。小さなドアからなんとか中に潜り込むと、コクピットには予想以上に広がりのある空間があった。しかし真の喜びは溶接の跡や傷跡を見つけたときだった。これぞこの車の歴史である。ルーフの上のエアインテークとか数々の改造箇所は何年にもわたってさまざまなドライバーがこうしてくれと要求した痕跡なのだ。

イグニッションをONにしてボタンをプッシュ、するとむき出しのアルミパネルが共鳴板の役を果たしているのだろう、得も言われぬ轟音がコクピットを包み込む。エンジンが暖まるのを待つ間、私はペダルをチェックしたのだが、クラッチの感触は驚くほどソフトで苦もなく走り出すことができた。走り出したあともクラッチやギアボックスはこのうえなくスムーズで、これまで体験したどのフェラーリよりもよい印象を受けた。エンジンの回転はシャープで、スロットルを開ければ開けるだけ、エンジンの喜びも増していくようだった。まるでメロディーを口ずさむかのような歌声も、4000回転より上になると深々としたトーンに変わっていくのだ。ブレーキは予想外の効き方をすることがあったが、この時代の車ならよくあることで、2.3マイルも走れば症状も出なくなる。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Massimo Delbo Photography:Remi Dargegen 取材協力:RMサザビーズ(www.rmsothebys.com)

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