元オーナーが語るイタリアの高級自動車メーカー イソのすべて

Portrait:Mark Dixon



苦しい時期にも、ピエロには"レーレ" こと妻ラケーレの支えがあった。二人は1966年に結婚した。「出会ったのは私が18歳のときだ。彼女はお姫様だったよ。それが今では女帝だ!」とピエロは笑う。イソ・レーレ(写真右)は、妻の名を付けた車だが、誕生の裏にはやむにやまれぬ事情があった。「彼女へのクリスマスプレゼントを買い忘れたんだ。私はパニックに陥った。ガレージに行ったら、いい具合の木片があったので、そこに“クリスマス・プレゼントとしてレーレと名付けたモデルを贈る”と書いてツリーの下に置いた。妻はカンカンだった。

すぐに見抜いたんだ。いまだに忘れさせてくれないよ。あとで社員に『その車名をどうするんです』と聞かれたので、『何か考え出さなきゃならないな』と答えたよ」

幸い、1969年に娘のマレーラが生まれて結婚生活は破綻を免れた。レーレはファミリービジネスにも貢献した。ギアのデザインスタジオで、ジウジアーロが4ドアクーペの素案を描くのをレーレが手伝ったこともあるとピエロは話す。

「しかしギアには大変な目に遭わされたよ。なにしろギアのオーナーは友人のアレサンドロ・デ・トマゾだったからね。クレイジーな人だった! 私たちはヨットを共同所有し、お互いの妻とも仲がよかった。レーレはアレサンドロを
からかうのが好きで、アレサンドロも同じだった。私も彼のことは大好きだったが、マトモじゃないところがあったから……」

1970年代前半といえば、イタリアに政治的な嵐が吹き荒れ、石油危機も迫っていた頃だ。イソにとっても激動の時代で、1973 年にはタバコ大手のフィリップモリースをスポンサーに獲得してF1にも進出した。ブランドイメージを高めて、フェラーリのようにロードカーの価格を引き上げられればと考えてのことだ。チームはイソ・マルボロと名付けられ、一時は成功するかに見えた。



「だが、私たちには真に優秀なドライバーを雇う余裕がなかった。よく健闘したが、相手はフィティパルディやスチュワートだ。あの頃はパイロットですべてが決まる時代だった」

イソが将来を楽観視していたことは、コンセプトカーのヴァレードを発表したことにも表れている。「われわれにとってのミウラになるはずだった。しかし実際のところは、オイルショックで速度制限が敷かれた時代にスポーツカーなどナンセンスだったよ。ガールフレンドに車を自慢したいが、本気で速く走りたいと思っているわけではない人がターゲットだった」

現代ではパワフルなスーパーカーは意味をなさないというのがピエロの持論だ。「だいたい400bhpを越えたら、車を制御するにはテストドライバー以上の腕が必要だ。パイロットと呼べるくらいでなければだめだ。現実の世界では、200~250bhpもあればたくさんだよ。ギア比を上手に設定すれば必要な加速力は得られる」

ヴァレードが発表された1972年には、すでにピエロとイソの関係に暗雲が漂い始めていた。会社の資金繰りを支えるために、イヴォ・ペーラという投資家が加わったのだ。ペーラとそりが合わなかったピエロは、リヴォルタの名を冠した会社を去る決断を下す。そして1974年12月、ついにイソは倒産してしまった。

「終わり近くには、フェルッチオ・ランボルギーニと合併の可能性について話し合ったこともある。彼はとにかく引退したがっていたんだ。私は、『どちらも足を引きずっている者同士だから、合併したところで結局は共倒れですよ』と答えた。でもね、私はフェルッチオが好きだったよ。とても率直な人だった」

では、エンツォ・フェラーリはどうだろう。このとき初めて、そしてこのときだけ、ピエロの雰囲気が暗くなり、眉間にしわを寄せてこう言った。「一度も会ったことがないし、父もそうだ。この話題についてはもう話したくない」と。

イタリアに幻滅したピエロは、フロリダに移住して再出発をした。しかし、自動車産業と縁を切ったわけではない。超小型クアドリサイクルのプロジェクトを興したこともある。また、実現はしなかったが、1990年代半ばにはグリフォの復活も計画した。走行に必要な核となる部分に異なるボディを架装することが可能なので、ときどき車をアップデートできるというのが売りだった。



最近は、他の事業に集中することでストレスの少ない日々を送っている。まずは、フロリダでの生活に不可欠なゴルフコースとショッピングモールを建設する事業。また、ヨットやスピードボートのメーカーであるリヴォルタ・ヨットを息子のレンツォと共に経営して、海への愛情を満足させている。

しかし、ピエロが自分のルーツを忘れたわけではない。20年ほど前には、ご近所のブライアン・ジョンソンを口説き落として、ブライアンの妻がオークションで入手したレストア済みのイセッタを買い取った。ブライアンはこう話す。「私たちはあまり売りたくはなかったんだが、粘り強くて根負けしてしまったんだ。あの人の魅力にはかなわないよ」

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words and Portrait:Mark Dixon

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