1954年デイムラーでヒルクライムに参戦|『Octane』UKスタッフの愛車日記

Octane UK

『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。今回は、“ドリス”と名付けた1954年デイムラー・コンクエストでヒルクライムに挑む、ピーターがお届けする。



2023年を振り返ってみると、2月の中旬に、私のデイムラー・“ドリス”で『ラリー・モンテカルロ・ヒストリック』に参加したことは、もう遠い昔のことのように思える。今年はヒルクライムにもフルシーズン参戦しようと、3月の雨の週末、ウェールズとの境にあるロトン・パークを訪れた。ブガッティ・オーナーズ・クラブによる『FASSIナショナル・クラシック・スピード・チャンピオンシップ』の第1戦に参加するためだった。結果はまずまず上出来で、サロンカークラスで上位入賞して帰途についた。

しかしその後、どういうわけか、私は新進気鋭のヒストリックレースチームの運営に関わることになり、この夏はずっとバートン・レーシング(www.barton-racing.com)の一員としてヨーロッパ中を駆け回っていた。そのため、休みはほとんどなかった。しかしル・マン・クラシック期間中には、なんとか5日間の休暇を取ることができた。このイベントには、記録的な33万人という観客が訪れ、皆、素晴らしいレースを満喫していた。



信頼のおけるMG ZTT(写真上)でフランスを周遊したのちイギリスへと戻ってきた。そしてドリスのエンジンをかけ、グロスターシャーの牧歌的な『プレスコット・スピード・ヒルクライム』に参加する前に、点検をすることにした。その点検とは、オイルの確認(まだクリーンだった)、タイヤの空気圧チェック(すべて30psi)、そしてセーム革を使った簡単な手入れなどだ。

ヒルクライムレースというものは、実際はほとんどが退屈な時間かもしれない。ただ、1日に4回だけ、数分間の激しい競争がある。段階的に順位を上げ、ポジションを完璧にすることが、このレースでは評価される。現在のプレスコットでの記録は、ウォレス・メンジース(グールドGR59M)によるもので、わずか34.65秒だ。偶然にも、このタイムは私のベストタイムより1秒短いだけなのだ。そのタイムを2で割れば、の話だが。もちろん、ブガッティ・オーナーズ・クラブが主催するような、ハンディキャップありのイベントにしか私は参加しない。しかし、少なくとも理論上では、1954年のデイムラー・コンクエストにも勝てるチャンスは平等にある。

こうして、7月の晴れた夏の日、私は成し遂げたのだ。晴れ渡った青空が消え去り、雨が激しく降り注いだのだけが残念ではあるが。実際のところ、コンディションは一日中悪く、主催者は2度にわたってレースを中断し、その間、マーシャルがコースを乾かした。それでもドリスはチャレンジ精神旺盛だった。ワイパーをパタパタさせながら、私たちは意を決して最後の追い込みをかけた。それは、こんな様子だった。

プリセレクターで1速を選択し、緑色のライトが点灯するまで待つ。ホイールスピンを最小限に抑えながら発進だ。オーチャードとエトレスのカーブでは、驚くほどのグリップ力を発揮した。そして、3速で全開にし、おそらく60mph程で、パードンと呼ばれるトリッキーな上り坂のヘアピンカーブに向かって軽い下り坂を進む。ブレーキをロックさせないように注意が必要だ。再び2速へ落とし、その後エッセを3速で通過。ここは非常に滑りやすい。次の左90度のカーブに備えてスローアウト。最後の難関、“セミサークル(半円)”までのショートスプリントは2速のままだ。(円の)先端部をカットし、ドリスを大きくスライドさせる。フィニッシュの手前で3番手をキープ。マーシャルに手を振る。パドックへ戻る。

こうしてドリスはクラス優勝したのだった。お疲れさま。


文:Peter Baker

文:Peter Baker

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事