フェラーリ330GTCをコンクール・デレガンスに出してみた|審査員を魅了するには?

Gerard Brown/Salon Prive/Scott Pattenden


緊張感あふれるビギナーチーム


実のところ私はすっかり思い違いをしていた。フェラーリ・エンスージアストの間では有名な家族の出であるクリスティは、コンクールについて熟知しており、初心者の私の手を引いてくれると考えていたのだが、それはまったく違っていた。私だけでなくベル・スポーツ&クラシックにとっても、さらに彼女にとっても、コンクール参加はまったく未知の冒険だったのである。そのうえ彼女は1週間前に一度だけ、しかも短時間このフェラーリを運転したことがあるだけで、私に至っては触れたこともない。

それゆえコンクール前日の朝早く、オーナーズツアーのためにブレンハイム・パレスに集まった時の私たちは見るからに緊張していたはずだ。コンプトン・ヴァ―ニーでの豪華なランチを挟んで、素晴らしいコッツウォルズの風景の中を走るそのドライブは、私たちにとって新車のように仕上げられたフェラーリを知る絶好のチャンスとなった。



力強い3967ccV12エンジンはベンチの上でテストされていたから、私たちはその信頼性に不安を抱いてはいなかった。3基のウェバー40DFIの唸りを聞きながら、逞しい288lb-ft/5000rpmのトルクを生み出すリビルドされたばかりのエンジンを試すつもりだった。クラッチは例によって重く(330シリーズはすべて同じ)、ドッグレッグ式の5段トランスアクスル・ギアボックスは、経験者が言うように冷えた状態では扱い難い、オックスフォードシャーのカントリーロードを走り出すと、152mphの最高速も0-60mph6.5秒という加速力も試すどころではないことが分かった。細身のボディ(全幅1626mm)と良好な視界は有難かったが、ウォーム・ローラーのステアリングは無論ノンアシストで重く、切れ角も小さいために、村々を結ぶ狭い一車線の田舎道はこのフェラーリに相応しい舞台には思えなかった。

結局私たちはルートブックを追うのを諦めてA44に乗ることにした。それはまるでフェラーリを異国から故郷に連れ戻ったかのようで、緩やかな起伏とカーブが続くAロードはまさにこの車が走るべき舞台だった。ペースが上がるとすべての操作が滑らかになり、ギアレバーは楽にゲートを移動し、4輪ディスクブレーキはフルにその性能を発揮、また前後ダブルウィッシュボーンにスタビライザーが付いたサスペンションは舗装路面を結ばれているようで、頑丈なボディとラダー/ペリメーター・シャシーの重量バランスもまったく申し分なかった。このような道でこそ、330GTCの設計意図が見事に現れることを、そして今日見過ごされているのがいかにフェアではないかを実感することになった。

ツアーの後、私たちはフェラーリの専門家であるケン・グロスに会場でばったり出くわし、彼が私たちを審査するジャッジのひとりであることを知った。サロン・プリヴェはICJAG(インターナショナル・チーフジャッジ・アドヴァイザリー・グループ)に所属する厳格で比類なき知識と経験を備えた個人に審査を委嘱している。途端に緊張が一気に高まったのは言うまでもない。

いっぽうその頃エリオットは、どうしても気になる点をさらに改善するべく急ぎ家に戻っていた。その夜、彼は遅くまでかかって、鮮やかなオレンジ色のオイルフィルターに貼られたステッカー(私の眼にはまったく同じに見えたが)をより良いものにしようと努力していた。私はといえば、前夜のカクテルパーティーを早々に切り上げて、330GTCのヒストリーとレストアについて改めて復習した。

翌朝8時、指示された通りにまだ人影もないコンクール会場に着いた時(コンクールの時間と実際の時間は大きく異なるものだ)、エリオットがひとりオイルフィルターを交換し(彼は正しかった)、室内の空調ベントの角度を左右対称になるように揃えていた。



ジャッジは9時40分に現れた。グロスとハーヴェイ・スタンレー、ガブリエレ・ラリの3人は、車のあらゆる部分を“1ミリ”ずつじっくりと眺めて、私とクリスティは彼らの質問に答えた。私は電気系ターミナルが特に気になったが、そのような情報が他のすべても適切と彼らに納得させられるのだろうかと考えていた。彼らは非常にフレンドリーだったが、あらゆる曲面からパネルの隙間まで綿密にチェックしていた。審査を終えた私たちはショーを楽しんだ後、午後2時に再び集まることにした。それまでには何らかの賞を得た車にはバラの花飾りが飾られるという。

『Octane』編集者のジェームズ・エリオット(グレーのジャケット)が、審査員のケン・グロスとハーヴェイ・スタンレー、ガブリエレ・ラリのチェックを見守る。それは配線一本にまで至る。

私たちが戻った時、残念なことにそれはなかった。皆肩を落としたが、競争相手を見て来た私たちにとってそれは納得できるものでもあった。自分たちを慰めていると、誰かが現れて、花飾りをワイパーに挟んでいった。それはつまり、クラス1位か2位であることを意味する。私は必死で浮かれないように努力した。というのも、花飾りは隣の見事な275GTBショートノーズにも飾られていたからだ。

マックス・ジラルドとアンドリュー・バグリーがクラスウィナーは09069であると宣言し、クリスティとエリオットがパレードランに赴く時になって初めて、私はチームの一員だと実感することができた。クリスティは夢見心地で、それはベル・スポーツ&クラシックのメンバーも私も同様、ビギナーばかりのチームはフェラーリ75周年記念クラス2のウィナーとなったのである。

クラスウィナーとなった“Octane”フェラーリにシャンパンとトロフィーが授けられた。ステアリングを握るのがオーナーのクリスティ・チルターン ‐ハント、隣はレストアラーのエリオット・イースト。

もちろんそれですべて終わりではない。水曜日の夜には出場者の豪勢なディナーがあり、木曜にはさらに多くの賞が与えられ、またウッドストックの村を抜ける新しいパレードも行われた。金曜日はベスト・オブ・ザ・ショーの発表を含むプログラムが予定されていた。クラスウィナーの330GTCもその候補ではあったが、それは少々欲張りすぎというもので、それは飛び抜けて素晴らしいデイヴィド・シドリックの1956年250GTザガートが受賞した。

コンクールの出場者となるには真剣な努力が求められる。経済的な面だけではなく、時間も情熱も多くを必要とするのである。興奮すること請け合いだが、同時に疲労困憊もする。ほとんどのオーナーが同じホテル(今回の場合はウッドストックのベア・ホテル)に宿泊するおかげで、新たな友人と知り合う良い機会になる。そこに身を置けば、なぜオーナーやレストアラーがコンクールに取り憑かれてしまうのかが自ずと理解できる。ただし、大勢が単にショーを楽しむいっぽうで、もし何か光り輝くものを家に持ち帰ろうと考えるならば、エリオットのように恐ろしく執拗になる必要があることは言うまでもない。

この先私はもう一度挑む気になるだろうか? 芝生の上でシャンパンを抜き、クラスウィナーとなった幸福感に包まれて私たち皆が考えていたのは、来年はお祝いのためにイタリアに旅するべきということだ。たぶん10月のコモ湖に。


1966年フェラーリ330GTC
エンジン:3967ccV12、各バンクSOHC ウェバー 40DFIキャブレター×3基
最高出力:300bhp/ 7000rpm 最大トルク:288lb-ft(390Nm)/ 5000rpm
トランスミッション:5段 MT、トランスアクスル、後輪駆動 
ステアリング:ウォーム&ローラー
サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン コイルスプリング、テレスコピックダンパー、スタビライザー
ブレーキ:4輪ディスク 車両重量:1300kg 
最高速:152mph(245km/h) 0-60mph加速:6.5秒


編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA
Words:James Elliott Photography:Gerard Brown/Salon Prive/Scott Pattenden

編集翻訳:高平高輝

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