連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.9 アルファロメオ・ティーポ33ペリスコピカ&ポルシェ906

T. Etoh

アルファロメオ・ティーポ33と言って、思い浮かべる車は人それぞれだろう。ある人はコンパクトカーとして一世を風靡した量産車、アルファロメオ33を思い浮かべるかもしれないし、あるいはストラダーレの名を持つロードゴーイングスポーツを思い浮かべるかもしれない。しかし、33のオリジナルはレーシングカーである。

そのプロジェクトがスタートしたのは1964年9月のことだった。コードネーム105.33で呼ばれたこのプロジェクトは、アルファロメオが本格的にスポーツプロトタイプのカテゴリーに復活するためのもので、最初のモデルは1965年に完成した。ただしその時に搭載されていたエンジンは実際に登場したマシンとは異なり、アルファロメオTZ2に搭載されていた直列4気筒エンジンだったのである。この車はすぐに1963年3月5日から正式にアルファロメオのレース部門となっていたアウトデルタに送られ、そこでさらなる開発が行われることになった。

アウトデルタは元アルファロメオのエンジニアだったカルロ・キティとアルファロメオのディーラーを営んでいたルドヴィコ・キッツォーラが共同で興した会社であり、はじめはイタリアのウディネにあった。しかし、アルファロメオとの関係が築かれ、1964年に正式にアウトデルタSpAという会社名になったのを機に、ポルテッロのアルファロメオに近いセッティモミラネーゼにその拠を移したのである。ここで、カルロ・キティは105.33用に新たなV8エンジンを完成させた。90度のバンク角を持つ2リッターDOHCユニット。ルーカスのインジェクションを持つチェーンドライブという構造で、おおよそ270ps程度のパフォーマンスを得ていた。これを3本の200mm径のチューブによって形成された非対称H型のフレームに搭載した。因みにこのシャシーはコンセプトカーのスカラベオで使われたものがベースとなっている。シート及びグラスファイバー製のボディは僅か55㎏と超軽量で、トータルのグロスウェイトは580㎏だったという。



その軽量のボディは大きく屈曲したロールバーの上からエアスクープが付きだすような形状で、そのエアスクープが潜望鏡のように見えたことから、ぺリスコピカと呼ばれた。開発にあたっては、当時アルファロメオが所有していたバロッコのテストコースが使用され、同時に広告のための撮影も行われたが、その際にはベルギー王室のアルベール王子とパオラ王女がそこに参加している。その縁があってかこの車のデビューはベルギーのフレロンで行われたヒルクライムで、テストドライバーだったテオドーロ・ゼッコーリのドライブで見事優勝し、その前途が期待されたのである。しかし残念ながら信頼性と耐久性の不足が災いし、さしたる成績を残せぬまま、翌1968年には通称ディトナの愛称を持つ33/2に切り替わってしまったから、この車が活躍したのは実質的に僅か1年のことであった。



シャシーは合計5台分が製作されたが、うち1台はテスト中に破壊されたとのことで、実質的には4台のマシンが製作されている。このうち3台については現在もその消息が分かっている。この写真のモデルは1967年に制作されアンドレ・デ・アダミッチとテオドーロ・ゼッコーリのドライブでこの年のセブリング12時間を走ったとされているものだ。残念ながらリタイアに終わり、その後のレース記録は不明だとのことだが、ロッソビアンコ博物館から放出された後オランダのデンハーグにあるロウマン・コレクションにあるとされていたが、今はそのリストにもない。ただし、スクラップにされているわけではないはずだ。因みにシャシーナンバーは75033-004である。



一方のポルシェは日本でもあまりにも有名な906、通称カレラ6である。ポルシェが初めて風洞実験で空力の概念を取り入れてデザインしたレーシングカーとして名高いモデルであり、同時に日本では当時の日本製レーシングカーの実力を引き上げるベンチマークにもなったモデルである。そしてこの車の開発責任者として指名されたのは当時まだ20代の若さだったフェルディナント・ピエヒであった。



906はグループ4のホモロゲーション取得のため50台の生産を目指したが、66年シーズン前半は間に合わず、数戦をプロトタイプカーとして戦った。正式なホモロゲーション取得は5月。以後はスポーツカークラスで戦ったのだが、ワークスのモデルには2.2リッターフラット8(4台)が搭載されたり、901Eの名称を持つ、燃料噴射ユニットを搭載したモデル(9台)などもあり、こちらは引き続きプロトタイプとして参戦していた。通常はウェーバーの46IDAキャブレターが装備される。また、アルファと違い、こちらは空冷フラット6のSOHCという構造である。基本的には911に使用されるフラット6と同じだが、901/20と呼ばれるカレラ6用エンジンは、ツインプラグであることやマグネシウムやチタニウムといった素材を使用することで、同じ2リッターの911用901/01と比較して大幅な軽量化(中には54kg軽いとする記述もある)を達成していた。



最終的にカレラ6は65台が生産されている。

空力的に洗練された流麗なボディを纏った906だが、履いているホイールはなんと15インチのスチール製。しかもレーシングカーらしからぬ5本スタッドのものだ。これはピエヒがセンターロックの13インチを所望したものの、904/6用として15インチホイールが大量に在庫されていたためにそれを使ったということで、13インチが採用されたのは910からである。フロントフェンダーが大きく盛り上がっているのは15インチタイヤをクリアするためともいわれる。



ポルシェとアルファの2リッタークラス対決は言うまでもなくポルシェに軍配が上がった。とはいえ、ポルシェは67年シーズンには2.2リッター907が登場、さらに68年には3リッターの908が登場するなど、常にアルファの1歩先を行って有利に戦いを進めていた。ティーポ33のV8も最終的には4リッターまでキャパシティーを拡大したが、ポルシェの牙城の前には歯が立たなかった。



そして73年からフラット12気筒ユニットを搭載したTT12、76年からはフラット12ツインターボのSC12が登場し、77年にはシーズンのレースすべてに優勝する快挙を達成して有終の美を飾るのである。もっともこの時すでにポルシェの姿はなく、戦うべき相手がいなくなっていたので、ある意味では勝って当然だったともいえる。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

文:中村孝仁 写真:T. Etoh

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