30年来の相棒、アルファロメオ スパイダー・ヴェローチェの新たな旅

Octane UK

『Octane』UK関係者による愛車日記。今回は1969年アルファロメオ スパイダー・ヴェローチェを30年間所有しているサム・シックのレポートだ。



私がこの車を購入するなんて馬鹿げているということは、最初からわかっていた。若い頃は年代ものの車にとても憧れていたが、それらを生み出した技術やエンジニアリングについては何も知らなかった。また、お金がなかったため、20代前半までは教習所に通うこともできなかった。さらに、ロンドンの中心部に住んでいたので駐車場もなく、整備士の知り合いもいなかった。そのため、車の写真家という職業に就いたにもかかわらず、実際に車を所有するまでには長い時間を要したのだった。

しかし、これらの厳しい条件下にありながら、1993年に同僚から古いアルファを買わないかともちかけられたとき、私は躊躇しなかった。「ダスティン・ホフマンが乗ってたあの車なんだけど、色はシルバーなんだよ。あの映画知ってるでしょ?左ハンドルのヴェローチェで、なかなかエキゾチックなんだ」

同僚が“オッソ・ディ・セッピア”の説明をしてくれるのを遮りながら、私は唐突に「イエス」と即答してしまった。出所、状態、価格などについてきちんと確認したどうかも覚えていない。それでもその後、ロンドンのアクトン地区にある古びたガレージを訪れ、握手を交わし、未払いの修理代を支払った。そして、(ほぼ)シルバーの1969年式アルファロメオ・スパイダー・ヴェローチェ1750に乗って帰ってきたのだ。

この車を買ったのは、映画への深い愛情があったからだ。つまり、マイク・ニコルズ監督の青春映画『卒業』のことだ。この車はピニンファリーナのスタジオで生まれ、サイモン&ガーファンクルの曲と共に登場した、映画スターだ。この購入が間違いであるはずがない。

だが、燃料ゲージをはじめ、ほとんどのものが動かないことが分かった。路上で完全に止まってしまったのは、まるで例の映画の主人公ベンジャミン・ブラドックと同じだった。場所がカリフォルニアではなく、夕方のラッシュアワーのナイツブリッジだったことを除いては…

その後、修理し、急いで再塗装したスパイダーだったが、ステアリングが重すぎたり、加速すると恐ろしい振動が発生したり、高速走行時にやや不安定になることなどが分かった。負担にはなるものの、日常の足としては問題なく、1997年の冬までは普通に所有していた。そしてその後、私の人生は劇的な転機を迎えることになるのだった。

アメリカでの仕事に疲れて帰国した私は住むところもなく、アルファに歯ブラシを投げ込み、南ヨーロッパの暖かい国へ逃げることにしたのだ。数週間の旅のつもりだったが、気付けば数年間が経っていた。ヨーロッパの国から国へ、友人から友人へ、そして仕事から仕事へと、渡り歩いた。ソファや車の中、ユースホステルで寝たり、たまにはパラッツォやシャトーでお世話になったりもした。



この“グランドツアー”には友人たちも加わり、特に親愛なるアメリカ人とはアルプス山脈の裏の道路からトスカーナまでの旅を共にした。旅を続けるうちに、スパイダーは日常の足ではなく“親しい仲間”へと変貌を遂げた。スパイダーはさらに私の結婚式にも登場し、ラジエーターのトラブルはあったものの、妻をサマセットの礼拝堂から乗せ、新婚旅行に送り出してくれたのである。

信頼性を考慮すると、このアルファは結婚式用の車としては大胆な選択だった。

しかしその後、家庭を持ったことでの責任感をもつようになると、この車は長い間放置されることになった。家の修理、財政危機、パンデミックなどの事情により、レストアは常に滞っていた。しかし、妻は賢明かつ寛大だった。この小さなアルファをいつも守ってくれて、売ることはないと宣言してくれたのだ。

幾度もの試行錯誤の末、地元のパブで出会った男性との偶然の出会いにより、10年ぶりに希望の光が見えてきた。敏腕のイアン・ターナー氏とそのチームが運営するターナー・クラシックス社により、この車はレストアする価値はあると断言された。経済的に可能かどうかは別として…

この車を買うなんて、やはり馬鹿げていたのかもしれない。しかし、詰め物や塗装が剥がされていくにつれ、この車の次なる旅が始まった。トム・ウルフの自動車に対する魅力的な表現が頭に浮かんでくる。「自由、スタイル、セックス、パワー、動き、色。すべてがそこにある」


文:Sam Chick

Sam Chick

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