「安価で元気のあるGT」喜劇俳優が愛した素晴らしいアストンマーティン

Photography: Alex Tapley



車の評判は非常にポジティブなものだった。デニス・メイはDP199を運転し、カー・アンド・ドライバーに次のように記した。「この『英国人の車』が、海外のライバル車と比較されること自体が、車の評価の高さを表しており、私たちイギリス人の自尊心にとって喜ばしいことである。結果、どのように評価されようともだ」

DB4 GTのスター性は、1961年に0157 / Rがケン・ラッドの販売代理店に納品されたときも、陰ることはなかった。車内には軽量のGTシートではなく、新品のDB4用のシートが取り付けられた。しかし、これによってこの車のユニークな特徴であるオリジナルの『予備用の』後部座席がより使いやすくなった。これらはDB MkⅢの様式のもので、ライオネル・ジェフリーズが金を持って逃走する際に、後部座席に座らねばならなくなったとき、役立つことが分かった。当時、非常に若かったセラーズの娘サラは、少し『派手に』見えるこの車で学校に連れて行かれるのを恥ずかしく思ったこと、狭い後部座席に押し込まれたことを覚えているという。



1961年4月、0157/Rには最初期の交換用バックアクスルが2つ搭載されていた。これは当時のソールズベリーのデフに共通する異音のためであったようだ。 1961年6月、ヘッドガスケットの漏れや振動の問題を改善するために、エンジンがリビルドされた。おそらくアストンマーティンにおける最高のエンジンのひとつではなかったが、当時、さまざまな重大な故障が起こることはめずらしくなかった。

アストンマーティンのサービス記録には、1963年3月29日に完了した『出火に付随して施された修理』という不可解なものがある。記録によると、1963年3月にエンジンブロックが取り替えられた時のことのようだ。出火原因は不明だが、DB4 GTではそういった事件のほとんどがエンジン関連であった。

結果として、アストンマーティンはラゴンダ製の4.0リッタータイプの新しいエンジンブロックを装着し、4.0リッターGTエンジンという名を刻んだ。これは、最初のDB5エンジン(同じく4リッター)が製造される4カ月前のことであった。そのため、この車にはオリジナルで唯一の4.0リッターDB4 GTエンジンが搭載されており、現在まで同じ容量のままだ。セラーズは知名度が高く優良な顧客で、0157 / Rの映画での活躍を鑑みても、エンジンブロックは「好意」で装着されたと思われた。特にエンジンは1961年には既にリビルドされており、車の走行距離はその当時約400マイルしかなかった。

DB4 GTは、ヴィンテージ航空機のコレクターであるスティーブン・グレイの所有車となりニュージーランドで約15年間を過ごすなど、多くの愛好家の手に渡って余生を送った。また、AMOCの前会長が一時的に所有していたこともあった。 2002年には、完全にリビルドされたが、工場でカラーはオリジナルのデュボネではなくグッドウッド・グリーンとなり、参考となる映画が白黒であることからも、元のカラーははっきりと判明していないようだ。 このGTは、グッドウッド等のイベントで、現在のオーナーの在職期間中に何度も見られた。そして今、まさにそのピーター・セラーズが所有していたDB4 GTを『Octane』が運転しているのだ。

Words:Stephen Archer   訳:オクタン編集部   Photography: Alex Tapley

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