こんなジャガーもあった!模索されながら生まれたユニークなスタイリング

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ジャガーEタイプは瞬く間に古典となったが、それはジャガーや他のデザイナー達が後継車を模索しなかったという意味ではない。そして生まれたユニークなジャガーをご紹介。


ジャガーEタイプ・フルア

レーシングドライバーとしても名高いジョン・クームスはサリー州ギルドフォードでジャガーのディーラーを営んでいた。ある時、イタリアのカロッツェリア・フルアにEタイプのモディファイを依頼し、限定販売を計画した。このクルマは1966年のジュネーヴ・ショーで発表された。ノーズとテールが短縮され、アルファロメオばりのフロントグリルを追加し、テールライトとナンバープレートを内蔵した新型のリアバンパーを採用した。ユニークさは認められる。


ジャガーEタイプ・ローウィ

フルアと同じく、インダストリアルデザイナーのレイモンド・ローウィもEタイプを完璧に改良できると考えた(公平を期すなら、どちらもEタイプの冷却効率については改善があった)。彼は自身のデザインをフランスはサンスのカロスリ、ピンチョン・パラットでワンオフ製作し、彼自身がモナコで使用していた。この個体は2011年に、カリフォルニアのクエールロッジで催されたボナムスのオークションにて12万8000ドルで落札されている。


ベルトーネ・ジャガー"ピラーナ"

英国の『デイリーテレグラフ』紙が1967年にEタイプ4.2をベースに、デザインと製作をカロッツェリア・ベルトーネに依頼したものだ。翌年のランボルギーニ・エスパーダのデザインに強い影響を与えたことでも有名だ。ベルトーネは1977年にもXJ-Sをベースにアスコットと呼ばれるシトロエンBXに似たボディを発表している。


ジャガーXJ-S

XJ-Sは1975年に賛否両論を持って登場したが、それでも我々のほとんどはジャガーの伝統あるV12気筒GTへの好感を失うことはなかった。この「ゴシック」スタイルには一種の慣れのようなものが存在する(1981年にはクロームパーツが増やされ、91年のフェイスリフトとともに改良が進んだ)。XJ-Sにはスポーツカーとしての自負と、ほとんど何者とも調和しない孤高の洗練が依然として漂っている。


ピニンファリーナ・ジャガーXJスパイダー

XJ-Sをベースに、空力的デザインこそがEタイプの進化型であると考えたEタイプノーズの現代的解釈。ジャガーはXJ-Sをピニンファリーナに提供し、レオナルド・フィオラヴァンティ、セルジオ・ピニンファリーナ、レンツォ・カルリなどスタジオの重鎮が関与した作品を造り上げた。1978年の英国モーターショーで公開。


ジャガーXJ 41/42

ピニンファリーナXJスパイダーへの市場からの反応に触発され、1980年、ジャガーはFタイプの作業を開始した。当初はクーペ、コンバーチブル、そしてハッチバックも企画され、1986年の発表が予定された。だが18年ぶりのフルモデルチェンジを控えたXJサルーンの影響で遅延となった。これによりXJ−Sは延命し、この幻のFタイプは、アストン・マーティンDB7として世に出ることになった。


ジャガーXJ220

ジャガーはこの時速220マイル(354km/h)のスーパーカーで新たな一面を見せた。1988年のバーミンガム・ナショナル・エキジビションセンターでの初公開ではV12エンジンと4WDの組み合わせであったが、1992年にデリバリーされたのはMG6R4ラリーカーから派生したツインターボV6、後輪駆動Mに改められていた。1500件の予約があったが、生産は275台に過ぎない。まったくEタイプとは無縁だが、それでもなおレジェンドには違いない。


ジャガーXK8

XK8は1996年に登場した。21年の長きにわたって生産されたXJ−Sの後継モデルであった。V8エンジンはXJサルーンからの流用で、シャシーの多くはXJ-Sからの派生だ。スタイリッシュで速く、高級で使いやすいがEタイプの後継車ではなかった。イアン・カラムがマイナーチェンジを行った2007年モデルはグレートカーだ。Fタイプに道を譲った。

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA Words: David Barzilay Photography: Lyndon Mcneil

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