ジャガーXJ13プロトタイプ|数奇な運命を歩んだジャガーの真髄

ジャガーXJ13プロトタイプ

このジャガーXJ13プロトタイプは1960年代以降、ほとんど乗られていなかった。オクタン編集部のジョン・シミスターがその再試験走行に密着。そして今、歴史上どのジャーナリストよりも遠くへと、この車を走らせた。

不運の"13"

ジャガーのブラウンズ・レーン工場 -今は閑散として寂れてしまっている。工場の機械や、そこに集まる人々は、はるかに近代的なキャッスル・ブロムウィッチ工場へとすでに移っていった。その跡にはまるで侵略軍の襲撃から一目散に逃げ出したかのように、ゴミが散乱した小さな建物だけが残っている。しかし大きな敷地の片隅では、今なお人々が働いているエリアがある。それは管理事務所や倉庫ではない。工場のずっと奥のほうに、まだ終わらない過去が映っているのだ。

ギャリー・ジョーンズという人物がいる。彼はかつてジャガーの排出ガス研究室で働いていたが、この建物はジャガーのレーシング部門としてとても面白い過去を持っていた。「煉瓦を積み上げて穴を塞いでいるのがわかりますか? あそこから排ガスが出ていていたのです。そのサウンドが想像できるでしょう。」

荒れ果てた安っぽい赤煉瓦の建物に入ると、かつての作業場のレイアウトがわかる。エンジンのテスターがあったり、そして数歩離れたところでは様々なレーシングカーが作られたりしていたらしい。ギャリーはまるでゴーストを見ているような気がしてきた。その中にジャガーXJ13に似た姿を見つけた。

1966年に制作され、1967年に初走行を行ったプロトタイプ、ジャガーXJ13は、GT40やフェラーリP4と互角に渡り合えるスポーツレーシングカーとなるはずだった。V12エンジンをミドに搭載。最高出力502馬力のXJ13は、Dタイプが10年前に勝ち取ったブリティッシュレーシンググリーンのバトンを引き受け、英国に再び栄光をもたらす役割を担っていたのだ。しかし、それは叶わなかった。最大の理由は、国際自動車連盟 (FIA)が1968年、プロトタイプレーシングカーのルール変更を行ったことに因る。XJ13のエンジンは、新しく定められた最大排気量の制限、3.0リッターよりもはるかに大きかった。これまでの努力、希望、投資、全てが水泡に帰した。 .そして史上最も美しい一台のレーシングカーだけが世に残った。

余談だが、もしかすると、この13というナンバーが不運のはじまりだったのかもしれない。XJ14であったなら、ル・マンを勝ち取り、歴史は大きく違っていたとも推測できる。だが、それも今となっては誰にも知る由がない。

過去の何かが、今なおそこに姿を現す。排出ガス研究室の隣の部屋はまるでメアリー・セレスト号(1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船。発見当時、なぜか乗員が一人も乗っていなかった)のようだ。ジャガーのヘリテージカーは展示のために「外遊」をしている時以外、ここに保管されてメンテナンスを受けてきた。

ギャリーは数々の古いジャガーの中でも最もミステリアスで、かつ価値のある一台の分解を手伝ってくれた。さぁ、レストアの開始だ。かつての職人たちが戻ってきて、XJ13をもう一度復活させるために分解を始めた。ヘリテージ・ボランティアとして働いている彼らは、XJ13が当時どのように作られたかを正確に覚えている数少ない生き証人だ。一台しか制作されなかったこの車に、作業マニュアルはもちろん存在しない。全ては彼らの頭の中だけに存在するのだ。

しかしなぜ今、この車を復活させるのか?

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