連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.14 OSCA S498DS

T. Etoh

正式な名称はS498DSという。ロッソビアンコ博物館の解説ではOSCA 2000 Desmodromicとされているが、OSCAホームページの解説は前者であるのでその名称を採用する。

さて、S498DSの話をする前にOSCAというブランドについて話をしよう。OSCAはイタリアにありがちな4つのアルファベットがそれぞれの頭文字で、それを並べてブランド名としている。たとえばFIAT、これはファブリカ・イタリアーナ・アウトモビリ・トリノの頭文字を繋ぎ合わせたもので、意味としてはトリノにあるイタリアの自動車製造工場…といったところであろう。そしてOSCAはOfficine Specializzate Costruzione Automobiliの頭文字を取ったもの。読み方としてはオフィチーネ・スペツィアリザーテ・コストゥルツィオーネ・アウトモビリ。意味としては「特別な車を作るオフィス」といった感じである。ただ、正式な名称はOfficine Specializzate Costruzione Automobiliの後ろにFratelli Maserati S.p.A.が付くようである。誕生したのは1947年。自らの手で創り出したマセラティを追われたマセラティ兄弟が、新たに作り上げた会社であった。

といっても元々経営が上手ではなかったマセラティ兄弟。OSCAも1963年には経営権を売却し、4年後の1967年には会社が閉鎖されてしまうから、その生産期間は20年と短い。OSCAの名が示すように製造していたモデルの多くはレーシングカーでありフォーミュラカーで、僅かな数のスポーツカーが存在するのはイタリアンハイパフォーマンスの通例である。というわけで20年間に生産された車は200台に満たない数でしかない。年間生産台数は12台以下。これで経営を成り立たせようというのが土台無理な話だったともいえよう。また、マセラティ兄弟もメディアを好まず、性格的にも引きこもりがちであったことからOSCAというブランドが世間に知れ渡ることはなく、今日に至るまで熱心なエンスージアストの間でのみ、その良さと凄さが語り継がれてきた。

さて、S498DSであるが、1959年の春に全く新しいモデルとして誕生したS498がベースとなるモデル。シャシーナンバーは#2006及び#2007の2台のみ。元々のS498にはDSの名は付かない。これが意味するところはエンジンの違いであり、後者のDSはデスモドローミックバルブ機構を持っていた。一方デスモ機構を持たないモデルはシャシーナンバーが#2006であり、今もアメリカのクラシックカーレースなどで活躍している。というわけで、S498DSはシャシーナンバー#2007のモデルのはずである。前述したようにDSはデスモドローミックの略。このマシンに搭載された2リッター4気筒エンジンのバルブトレーンにデスモドローミック機構が採用されていたというわけである。ご存じだろうが、このデスモドローミックを採用して活躍した例はレースの世界ではメルセデスのW196及び300SLRが有名だ。また、量産に目を移せばドゥカティのバイクがあまりにも有名である。もちろんドゥカティの場合はレースでも大活躍し、その技術をそのまま量産バイクに採用している稀有な例である。



カムによる強制的なバルブの開閉を行うことで、バルブの開閉タイミングが正確にコントロールできるという点がこの機構の特徴で、バルブサージングなどのスプリングを使った際に起きる問題を解決できる。デスモの歴史は古く、1896年にはそのパテントが申請されていたという。そして1914年にはすでにグランプリカー(ドラージュ)にこのシステムが採用されていた。さらに驚いたことに、比較的最近になってトヨタも研究用として300cc単気筒のデスモドローミックシステムを採用したエンジンを完成させていた。



とはいえ、今日までデスモドローミックを使い続けるのはドゥカティだけ。それほど凝ったシステムで作り上げるのが難しいものだったと言えよう。また今日ではコンピューターの解析で高回転時におけるバルブの動きを適正化することも可能になっているから、複雑なシステムを使わずともバルブスプリングで十分に対応できるという側面もある。

1959年にOSCAが開発した2リッターエンジンに、デスモドローミック機構が追加されて登場するのは1961年のことである。因みにS498と呼ばれるエンジンのSはスポーツカー。そして後ろの498は気筒当たりの排気量を示しており、この呼称はフェラーリなども使うイタリア独特の呼称といえよう。ただ、このデスモドローミックエンジンは、恐らく失敗作であったのだろう。このエンジンはシャシーナンバー#2007に搭載された1台だけが確認できている。レース参戦もほぼ記録が残っておらず、1962年の第46回タルガフローリオに、ルドヴィコ・スカルフィオティ/オドアルド・ゴヴォーニのドライブにより参戦している。また、スカルフィオティが去ったあとは、ジャンフランコ・スタンガというドライバーを擁して少なくとも2レースには参戦していたようだ。タルガフローリオでは4周目でリタイアしたという記録が残っている。

前述したように2000のエンジンはデスモ機構を持たないものも存在しているから、そもそもエンジン単体として他にデスモ機構を持つエンジンが存在したかも不明である。というわけでこのOSCA S498DSが現在どこにあるのか、あるいはは走行可能なのかも不明である。しかし、もし走行が可能であるとすれば、極めて貴重な個体であることは言うまでもない。実はこの車、1度日本にやってくる可能性があった。残念ながらそれは叶わなかったのだが、今も行方不明のこの車がどうなったか、興味は尽きない。

1度日本にやってくる可能性があり、手付金まで支払われたが、日本に来ることは叶わなかった。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

文:中村孝仁 写真:T. Etoh

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