ランチア・フラヴィアでイタリアらしさを満喫|『Octane』UKスタッフの愛車日記

Octane UK

『Octane』UK版スタッフによる愛車日記。今回はピーター・ベーカーによる1961年ランチア・フラヴィアのレポートをお届けする。愛車を「ソウルメイト」と感じる所以とは?



イタリアのランチア社と私には、共通点がある。人生を通じて、収入よりも多くのお金を支出している点だ。私たちがソウルメイトなのは、そういう理由からかもしれない。眠れないときに私は、所有していたランチア車たちの記録を、記憶から数え直す。アッピアとアウレリアの「A」から始まり、たいていはガンマの「G」にたどり着く前に終わってしまうのだが…

私は2016年3月に、1.5リッターの初期のランチア・フラヴィア・ベルリーナを、ローマの家族経営の業者から直接購入した。“新車同様”で、オリジナルのディーラーサービスパック、販売明細書、それにバッテリーの保証が付いていた。2日間という短い休暇を過ごした後、私と妻のリンは車でアルプスを越えてイギリスに戻った。DVLA検査をスムーズに終え、その車は晴れて市民権を得ることとなった。

このフラヴィアにはイタリア語のオリジナル書類(記録簿)が付属していた。

それ以来、このメタリックシルバー (正確にはニューマーケット・グレイ)の4ドア5シーターは、「ル・マン・クラシック」に2度出場し、数多くのツアーやリミーティングイベントに参加してきた。この魅力的な車は、「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック」で私のオフィシャルプレスカーとしても活躍した。前輪駆動(イタリアでは初)とサーボ付き四輪ディスクブレーキにより、理想的な車となっている。

変わった曲線のスイッチパネルとコラムのギアシフトがある。

50年代後半にアレック・イシゴニスが、タバコの箱の裏にミニのコンセプトを書き込んでいた頃のこと。陽光降り注ぐトリノでは、カプローニ・エアクラフト・カンパニー社の故アントニオ・フェッシア博士が、エンジニア主導によるランチア復活プログラムの最終調整に余念がなかった。その結果、どんな車が世に出たかというと、フラミニア、フラヴィア、そしてフルヴィアだ。この高額車たちがどこから出てきたのかは、今も国家機密とされている。フェッシア博士は各車に新しいエンジンを搭載するための資金を、ソファーの中から調達したこともあるとか。フラヴィアには4輪に美しいアロイホイールが奢られ、操作感の軽いコラムチェンジのギアボックスが組み合わされた。ミニと同様、フロントエンドは別のサブフレームにマウントされていた。似ている部分はそれくらいだったのだが、最終的には、どちらも大して売れなかったことも同じだった。

イタリアは情緒の都であるからして、工場の労働者たちが人気放送局「ラジオ・ワン」を聴く代わりにオペラを歌う、という噂はおそらく本当だろう。確かに、フラビアは1台ずつ愛情を込めて手作業で仕上げられ、納車前には路上での走行テストが行われた。発売当初、英国の顧客には左ハンドルのみが提供された。人気モデルであることに加えて輸入税が加算されたため、Mk2ジャガー、つまり2000ポンド超えの車よりも27ポンド高くなった。

さらに、ジャガーは速いが、フラヴィアはそうではない。60mphに達するのに18秒以上もかかるし、90mphとなると日が暮れてしまいそうだ。ただ、私の車の名誉のために言うと、私のフラヴィアはそれよりは速く感じられ、法定速度より5mph速く一日中走ることだってできる。ほとんどのこのイタリア車には大きなブレーキも装備されているが、偶然にもジャガーとサイズとメーカー(ダンロップ)が同じだった。だから、止まる時は曲がりなりにも威勢が良い。

悲しいことにこの12カ月間、このフラヴィアを運転する機会がほとんどなかった。しかしこの夏はまた、「ル・マン・クラシック」へ出場する予定もある。早朝の運転、窓を開けてランチアでドライブすることほど、イタリアらしいものはない。


文:Peter Baker

Peter Baker

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