イギリス女王エリザベス2世はドライビングを愛するエンスージアストだった

ALAMY, Jaguar Land Rover

エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザーが王位を継承したとき、まだイギリスは空襲の傷痕も生々しく、戦時中の配給制度も完全には終わっていなかった。また、働く女性は白い目で見られた。サッカー選手の“給金”は週14ポンドが上限という時代で、テレビは多くの者にとって手の届かない贅沢品であり、たとえ手に入っても、小さな10インチの白黒映像は、ぼやけた灰色にしか見えないこともしばしばだった。

その頃、エリザベス2世の在位がこれほど長く続くと想像した者はほとんどいなかった。だが、倒れるまで務めをまっとうするという誓いを女王は見事に守り抜いた。見るからに衰弱した様子だったにもかかわらず、在位中14人目の首相の辞任を受け入れ、15人目を最後の火曜日に任命した。そして木曜日に崩御したのである。それまで、70歳に満たない国民は、ほかの君主を知らなかった。

今やサッカー選手の“報酬”は億単位となり、テレビは横幅1メートルを超え、誰でも携帯電話を使って、放送に匹敵する画質で女王の葬儀を撮影できた。

女王が迎えた国賓は152組、もてなしたアメリカ大統領は14人中13人(例外はジョンソン)、外国首脳は数十人に上る。尊敬に値しない人物も少なくなかったが、女王は個人的感情の如何にかかわらず、全員に対して礼をもって丁寧に接した。その人柄と、生まれ合わせで背負った責務への献身には、どれほど頑なな共和制支持者であっても尊敬の念を抱かずにはいられないだろう。

1953年に即位すると、ハリウッドスターのように輝く美しい君主は、戦後の貧困にあえぎ、スモッグに暗く覆われたイギリスを照らす希望の光となった。周囲も思わず笑顔になる晴れやかな笑みは、その頃から終生変わらなかった。エリザベス2世の姿をとらえた絵や写真は、歴史上どの女性(あるいは男性)よりも多いに違いない。

夫のエジンバラ公はスポーツカーを愛したことで知られるが、エリザベス女王を自動車エンスージアストと呼ぶのは、いささか気が引ける。とはいえ、若い頃から自動車への熱意を示していたのは確かだ。上流階級の女性が運転することはまだ一般的でなかった第二次世界大戦中に、18歳で補助地方義勇軍への入隊を志願すると、ドライバー兼メカニックとして訓練を受けて、軍用トラックの運転を覚え、自ら手を汚してタイヤ交換も行った。

1950年には、父王ジョージ6世と共に、初開催のF1世界選手権レースのためシルバーストンを訪れた。F1観戦はそれが最初で最後だった。同じレースでも、4輪より“馬力”を好んだからだ。とはいえ、90歳をとうに過ぎてからも運転を楽しみ、イギリスでただひとり、無免許で運転を認められていた。

運転すると、かなり飛ばすこともあったと伝えられている。サウジアラビアから当時のアブドラ皇太子の訪問を受けた際には、フェミニストの賛辞を勝ち取った。その頃、サウジで女性の運転が禁じられていることを知っていた女王は、皇太子をランドローバーに乗せると自らステアリングを握り、バルモラル領内を猛烈なスピードで走り回ったのだ。震えあがった皇太子がスピードを落とすよう懇願しても、素知らぬ顔だったという。

王室の車は伝統的にデイムラーだった。これは曾祖父エドワード7世がデイムラーを後援したことにさかのぼる。1900年に最初の1台を購入して以来、長年の間に80台が加わった。1950年代になると、女王がフーパー製ボディのデイムラー・リージェンシー・エンプレスに子どもたちを乗せて、ウィンザーの敷地内を走る姿が見られた。1950年代中頃からは、ロールス・ロイスが“公用車”となり、ファントムIV、V、VIが使われた。2002年以降は、2台の堂々たるベントレーが加わっている。

そのため、女王の自動車ライフは両極端だった。滑るように走る豪奢なラグジュアリーカーに乗っていたかと思えば、地方の広大な領地へ行くと、使い込んだランドローバーで荒れ地を跳びはねた。ランドローバーをとりわけ愛し、シリーズIからディフェンダーまでの全車種と、レンジローバーを運転した。ローバー3リッターと3.5サルーンも所有し、自ら運転していた。





特に好んだのがエステートワゴンで、1956年には特注でフォード・ゼファー“ウッディー”を製造。ウッドフレームでルーフを通常より高く持ち上げ、サイドにもウッドパネルを“アップリケ”した。この非常にアメリカンな外観の1台は、サンドリンガムの博物館に収蔵されている。また、ヴォクスホールPAフライアリー・エステートも長年のお気に入りだった。

エリザベス2世が即位したとき、イギリスは世界第2位の自動車生産国だったが、崩御したとき、イギリスに独立した大手メーカーは存在しなかった。少しばかり悲しいことに、女王の棺をアバディーンからエジンバラまで運んだ霊柩車には、あのスリーポインテッドスターがグリルに付いていた。スコットランドの田園を厳かに進む葬列を望遠レンズでとらえた写真に、はっきり写っている。霊柩車に続いたベントレーのステートリムジンも、製造されたのはフォルクスワーゲンに売却されたあとだ。女王が愛したランドローバーも、現在はタタの傘下である。

その本社があるムンバイは、女王が若い頃はボンベイと呼ばれ、まだ大英帝国の一部だった。いかに時代が様変わりしたかを思わずにはいられない。


Words: Delwyn Mallett Image: ALAMY
編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation:Megumi KINOSHITA

オクタン日本版編集部

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事