初代オーナーは希代の石油王ウォルター・ウルフ! マニア垂涎のフェラーリ288GTOがオークションに

Bonhams

不朽の名車フェラーリ250GTOは、FIA GT選手権用に開発され、1962年、1963年、1964年と3年連続でマニュファクチャラーズ選手権でチャンピオンを獲得しており、いうまでもなくレジェンドである。250GTO以後、GTOの名を復活させるのは、よほど特別な車でなければ許されないことは明らかであったはず。そこで満を持して登場したのが、288GTOである。288GTO(グランツーリスモ・オモロガートの頭文字をとったもの)は、前モデル同様、国際的なスポーツカーレースで要求されるグループBのホモロゲーションに対応するため、わずか200台の限定モデルとして生産された車だ。フェラーリ365GTB/4「デイトナ」を生み出したピニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティがスタイリングを手がけ、288GTOは、1984年2月のジュネーヴ・サロンで初公開された。

フィオラバンティは、エンツォ・フェラーリからの最初のデザインブリーフに関して、「特に指示はなく、『308GTBをベースにしたレースで使える車を作れ』ということでした」と振り返る。



V8エンジンを横置きから縦置きに搭載した288GTOは、従来のフェラーリのロードカーとは根本的に異なり、ホイールベースを234cmから245.1cmに延長した新しいシャシーを必要とした。この新しいフレームは伝統的なスチールチューブ製で、ドライバーとエンジンの間にはケブラーとノーメックスのバルクヘッドという、F1由来の当時の最新複合技術が採用されている。エンジンレイアウトの変更は、IHI製ツインターボチャージャーとそれに付随するベーア製インタークーラーを搭載するために行われた。ターボチャージャーの採用により、クアッドカム32バルブV8はレギュレーションに適合するよう2927ccから2855ccにダウンサイジングされることになったのだ。フェラーリはF1エンジンのターボチャージャーで培った豊富な経験を生かして、既存の3リッターユニットに改良を加え、400bhp/7,000rpm、366lb/ftの強大なトルクをわずか3,800回転で発生させることに成功している。また、最高速度は時速304km/hという驚異的なものだった。

リアウィングの3本のクーリングスロットは、250GTOを意識したもので、288のボディもF1の技術を取り入れ、グラスファイバーと軽量複合素材ケブラー、カーボンファイバーの混合素材で構成されている。風洞実験により空力特性を改善した288GTOは、フレア状のホイールアーチ、大型のフロント&リアスポイラー、高い位置のドアミラー、フロントグリル内の4つのドライビングライトなど、エレガントさと力強さを兼ね備えたルックスに微妙に変化している。レースで培われた最先端技術とゴージャスなルックスは、当時のF1ドライバーたちを魅了し、フェラーリのミケーレ・アルボレットやルネ・アルヌー、マクラーレンのニキ・ラウダも、288GTOのオーナーとして名を連ねている。しかし、288GTOは、FIAによってグループBが廃止されたため、残念ながら構想していたレースに出場することはなかった。



生産台数については272台、278台と諸説あるが、1984年7月の生産開始までに売り切れた。英国での価格は73,499ポンド(当時のレートで約2300万円)で、ロールス・ロイスのシルバーシャドウが59,468ポンドであったことを考えると、比較的安価であったと言えるだろう。しかし1986年の生産終了からわずか数年後に288GTOが売りに出されると、価格は新車の3倍以上にも膨れ上がった。250GTOの後継としてふさわしいと断言できるこの車は、今日でも最も希少で魅力的なフェラーリの1台であり、変わらぬ人気を博している。

そんな歴史に残る名車の一台である288GTOが、10月9日に開催されるBonhams主催のオークション「The Zoute Sale」に出品されている。

この車は、シャシーナンバー「54783」で、1985年1月15日に完成し、メイリンのSAVAF経由でスイスに輸入された。マラネロ工場から出荷されたこの車は、クラシックなロッソ・コルサに、コントラストが美しい赤い布張りのネラ(黒)レザー・インテリア、エアコンは装備されておらず、ウィンドウはウィンドウ・アップ式だ。ウィンドアップウィンドウ、エアコンなし、布張りのシートという珍しい組み合わせは、しばしばライトウェイト仕様と呼ばれる。チューリッヒのガレージ・フォイテックAGに納められた288GTOは、1985年4月24日にカナダの裕福なビジネスマンで元F1チームのオーナー、ウォルター・ウルフに売却されることになった。彼はリアに "Wolf "のバッジをつけ、メキシコのナンバーで登録し、ヨーロッパにこの288GTOを置いておいた。ハンス・カール・ラングの著書『フェラーリ』には、このGTOが掲載されている。



オーストリアに帰化したウルフは、1970年代初頭に北海油田ビジネスで財を成し、1976年にはフランク・ウィリアムズのF1事業の経営権を取得した。同時にウルフはヘスケス・レーシングの資産も取得し、初のF1マシンであるウルフ・ウィリアムズFW05はヘスケス308Cをベースに設計されることになる。1976年末にウィリアムズが去った後、チームはウルフ・レーシングとして再編され、ハーヴェイ・ポストレスウェイト設計の新しいWR1が南アフリカのジョディ・シェクターがハンドルを握るアルゼンチンでの初戦で勝利を収めた。シェクターはさらに2勝し、6回の表彰台を獲得して1977年の世界選手権でフェラーリのニキ・ラウダに次ぐ2位となった。これがウルフのF1における冒険の最高到達点となり、1979年のシーズン終了後にチームをエマーソン・フィッティパルディに売却している。

1992年6月12日、元“ウルフGTO”はイタリアに再輸出され、デセンツァーノのオートノレッジョ・アドベンチャー・スプリント・イタリアSrlに売却された。1992年7月9日、この車は「BS E22298」として登録され、その2日後にイタリアのダルミネにあるジュゼッペ・レンメ(Luchini Automobili di Giuseppe Lemme)に売却された。同月末、レメはフェラーリをイタリア・ミラノのサンマルコ・オートモビリSrl(株式仲買人ブロッカが所有する自動車販売店)に売却。そして1993年1月18日、288GTOは「MI 4Y2116」として再登録された。



2001年3月7日、GTOはブロッカのパートナー、バーバラ・マグナーニの名義で登録される。次のオーナーであるルチアーノ・コロージオは、2003年11月3日にこの車を購入した。そして2012年8月、「54783」はブローカーのアンドレアス・ビルナーを通じて、ミュンヘンのハインリッヒ・フリースに売却され、「M-GT 2880」として再登録された。フェラーリクラシケは2013年9月11日にGTOを認証し、車が完全にオリジナルのドライブトレインを保持していることを保証している。2016年2月5日、ディーラーのモーリッツ・ワーナーが、ジョセフ・ハウスマンにこのフェラーリを売却した。現在の走行距離は約25,600kmだ。

今回の出品は、オリジナルのレザーウォレット、ジャッキ、工具、書籍(フェラーリの代理店が2019年3月までスタンプを押したサービスブックを含む)はもちろん、サポートドキュメントと重要なフェラーリクラシケ「レッドブック」を所有する288GTOを入手する貴重な機会となっている。このGTOは、販売前にシャルトクリッセエンジニアリングによって、ブレーキフルードを含むベルトやフルードを含む包括的な整備を受け、フェラーリの車カバーが付属する。

推定落札価格は5億1500万円〜5億7000万円。かつて日本では1台しか正規輸入されなかったと言われている288GTOだが、スペチアーレフェラーリの中でも根強い人気を誇り、フェラーリマニア垂涎の一台であることは間違いない。

オクタン日本版編集部

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