炎を吐き出して走るマシンが繰り広げる戦い│グループB の顛末

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グループBはラリーだけのカテゴリーではなかった。ただ、サーキットレースに適用するにはあまりにもクレイジーだったのだ。グループBといえば、テールパイプから炎を吐き出すラリーカーを思い浮かべる人がほとんどだろう。しかし実は、グループBをサーキットレースにも適用し、シルエット・フォーミュラと呼ばれたグループ5に代わるカテゴリーとするのが国際自動車スポーツ連盟(FISA)の計画だった。

グループ5は市販車ベースのプロトタイプカテゴリーで、ボンネットやドア、ルーフなどの外観が同じであれば、あとは自由だった。これに代わって1983年から導入されたグループBは、ラリーカーにも大幅な開発の自由をもたらした。しかし、グループBのホモロゲーション取得には、連続する12カ月に市販車を200台製造する必要があった。つまり、レース用のエボリューションモデルと認定済みのパーツを共有する"モンスター" をロードカーとして販売しなければならないのだ。これではメーカーにとって採算が合わなかった。

導入から数年後、グループBを最高の宣伝材料として、少数生産のハイエンドスポーツカーを造るメーカーがでてきた。その好例がフェラーリ288GTOだ。明らかにラリーよりサーキット向きのモデルだが、1985年6月1日にグループBのホモロゲーションを取得した。

フェラーリは必要な200 台を生産しただけでなく、ミケロットとピニンファリーナの協力を得てさらに開発を進め、エヴォルツィオーネ(写真上)を20台製造した。軽量化したボディワークを採用したほか、空力性能を極限まで追求し、ターボ付きエンジンの出力も650bhpまで高めて、パワーウエイトレシオはロードカーの2倍に達した。288GTOエヴォルツィオーネは競技の場に登場することはなかったが、F40のテストベッドとして重要な役割を果たした。

ポルシェも競技車両の開発に取り組み、コンセプトカーのグルッペBを発表した。これを元に誕生した959は、911をベースにポルシェの技術の粋を盛り込んだフラッグシップモデルとなった。959はサーキットレースを志向して開発されたと考えられるが、そのシャシーは汎用性が高く、ラリーカーへの流用も可能だった。ポルシェの狙いがグループBのサーキットレース参戦にあったことは、959をベースに耐久レース用マシンの961を生み出したことからも明らかだ。これで、935によるかつての栄光を再現したいと考えたに違いない。

961は、640bhpにパワーアップしたエンジンを除いて、959の仕様をほぼ引き継いでいた。まだ959はグループBのホモロゲーション取得に至っていなかったが、961はプロトタイプとして1986年のル・マンに参戦。GTXクラスで優勝し、総合7位でフィニッシュするという大健闘を見せた。ル・マンに四輪駆動車が出走するのはこれが初めてだった。また、961は959の進化版だったことから、正確には違うものの、"グループB 車両のサーキットでの初勝利" といわれることも多い。

一方、ランボルギーニはグループBのホモロゲーション取得のため、カウンタックのスペシャルバージョンである5000QVを造った。しかし、レース参戦の意思があったのかどうかは明確ではない。ジャガーもV12エンジンを搭載した四輪駆動モデルを造ってグループBレースへの関心を示したが、これを元に完成したXJ220はまったく異なる車となった。

時を同じくして到来したスーパーカーブームに乗って、グループBのレースは実現に向かうかに見えた。ところが、世界ラリー選手権でドライバーや観客が命を落とす重大事故が相次ぎ、安全性への懸念が高まったことから、1986年にグループBは廃止されてしまった。

スーパーカーによるレース参戦の道が絶たれたあとも、いくつかのメーカーがグループBのホモロゲーション取得を申請した。ランボルギーニ・カウンタック5000QVやフェラーリF40 LMがその例だ。このときの書類は、FIAの新しいGTカテゴリーへの申請に使い回されることとなった。一方ポルシェは、グルッペBという名のコンセプトカーを造ったにもかかわらず、正式な申請はついに行わなかった。

想像してみてほしい。ポルシェ961とフェラーリF40がデッドヒートを繰り広げ、そこに、長いストレートで追いついたジャガーXJ220が加わり、タイトコーナーではフォードRS200がライバルを押しやる…、こうした光景が実際に見られたかもしれないのだ。

悲しいことに、グループBは開発の自由を大幅に認めたことで自らの首を絞めてしまった。サーキットレースの構想は早い段階で暗礁に乗り上げ、ラリーでも大胆な拡大解釈が徒となって、史上最も刺激的な時代は終焉を迎えたのである。

編集10 2 翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Jay Auger, rallygroupbshrine.org

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