モントレー・カー・ウィークと、その立役者ブガッティとの深い縁

Bugatti

世界一のハイパーカーブランドとして名を馳せているブガッティ社とモントレー・カー・ウィークとの関係は非常に深い。今年のモントレー・カー・ウィークでもブガッティボリードが展示され非常に盛り上がりを見せた。しかしモントレー・カー・ウィークが今のような形になるまでには紆余曲折があり、当然のことながらブガッティもそれに深く関わっている。

ペブルビーチ・コンクール・デレガンスのチェアマンであるサンドラ・バトンは、「初期の頃は、コレクターズカーは特に評価されておらず、参加も奨励されておらず、主にニューモデルが重視されていました。しかし50年代半ばから新車ではなくクラシックカーに注目が集まるようになり、状況は変わりました」と話す。

ブガッティが受賞した9つの「ベスト・イン・ショー」のうちの最初の賞

ペブルビーチ・ゴルフリンクスの18番フェアウェイに展示された車と、光り輝くカーメル湾を背景に、フランスの高級車ブランドであるブガッティが初めて完全勝利を果たしたのは1956年のことだった。この年、ミルトン・R・ロス博士のグランプリカーであるタイプ37が「ベスト・オブ・ショー」を受賞したのだ。それ以来、ブガッティのモデルは、ほぼすべてのコンクールの18番フェアウェイに登場することになり、ブガッティの "ベスト・オブ・ショー "受賞回数は通算9回にも及んでいる。



「ブガッティは、ペブルビーチの歴史の中で非常に特別な位置を占めています。毎年、ブガッティのモデルがフェアウェイを飾るたびに、来場者、そしてもちろん審査員を魅了してやみません。1985年のブガッティ・ミーティングが、ペブルビーチを今日のような国際的な成功に導いたといっても過言ではないでしょう」とバトンは語る。

バトンが言う1985年のブガッティ・ミーティングとは、1985年にペブルビーチで行われた6台のブガッティタイプ41「ロワイヤル」の息を呑むような展示のことである。



1926年から1933年にかけて生産されたロワイヤルは、それまで世界中の誰もがまだ見たことのないような車だった。最高の高級車、貴族や王族のための車、それがブガッティの創業者エットーレ・ブガッティが思い描いた6.4メートル、12.8リットルの直列8気筒エンジンを搭載したタイプ41である。技術的にもスタイリング的にも、豪華な装備を備えたロワイヤルは、完璧なまでにその目的を果たした。しかし残念なことに、その時期は世界的な経済不況の時期と重なり、わずか6台の量産モデルしか作られなかった。

野心的な試み

6台のブガッティ・ロワイヤルを一堂に集めようという野心的なアイデアは、当時の現場スタッフであり、現在はイベントのチーフ・ジャッジであるクリス・ボックが最初に提案したものである。しかしそのためには、2台のブガッティ・ロワイヤルにアメリカ政府から外交特権を与えてもらう必要があった。この外交特権は、通常は個人に与えられるものであり、美術品に与えられることもあるが、自動車に与えられたことはなかった。



「ブガッティ・ロワイヤルのうち4台はすでにアメリカにあり、残りの2台はフランスにありました。これらはミュルーズにあったシュランプ兄弟の自動車コレクションの一部で、フランス政府が引き取り、フランス国立自動車博物館協会が管理していたのです」とボックは振り返る。

外交官特権が認められたとしても、大きなハードルがあった。フランスからの一般的な貨物便はカナダで燃料を補給するが、米国の外交特権ではそれがカバーされないため、エールフランスがパリからロサンゼルスへ直行する特別便を手配しなければならなかったのだ。フランスの美術館では、リスクを最小限に抑えるために、1台ずつ別の航空機、別のトラックで輸送することが定められていた。この輸送費は1985年当時、約8万5千ユーロ(1600万円)で、ペブルビーチでブガッティの伝説的なモデルを見ようとする車のコレクター、審査員、関係者、友人たちによって賄われた。



他の2台のロワイヤルはリノのウィリアム・F・ハラー・コレクションから、5台目はミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館から持ち出された。

「この車は、GMの元幹部であるチャールズ・チェイン氏が博物館に寄贈したものです。チェイン氏は、ロングアイランドのジャンクヤードでこのニューヨークの冬の寒さによってエンジンブロックにヒビが入った車に出会い、数百ドルで購入したのです」とボックは説明する。

一生に一度のイベント

ペブルビーチに展示された6台のロワイヤルを見るために、世界中から愛好家が集まってきた。6台のロワイヤルが展示されていた芝生には、常に多くの観客が集まっていたとボックは振り返る。

「あの車の周りには人だかりができていました。あの車の周りには人だかりができていて、一日中その状態が続いていていました。これは、このイベントにとって大きな転機となりました。ペブルビーチは、世界中の自動車プレスやカーコレクターの注目を集め、ペブルビーチ・オートモーティブ・ウィークも誕生したのです」



ブガッティのモデルは、1990年にラルフ・ローレンがタイプ57SCアトランティークで「ベスト・オブ・ショー」を受賞するなど、長年にわたりペブルビーチで多くの魅力的な瞬間を提供してきた。2003年にラルフ・ローレンの車は、マリン・コレクションの同様のタイプ57SCと再会を果たした。また2019年には、ブガッティ タイプ59グランプリの4台すべてが、1934年以来、初めて一堂に会した。

目を見張るようなスペクタクル

ブガッティの魅力について、クリス・ボックは次のように語っている。「ブガッティは、エンジニアリング、スタイル、希少性が完璧に融合しています。すべての機械部品が、エンジニアの目だけでなく、デザイナーの目でも作られており、まさに芸術品なのです」

ブガッティは、近代的な企業として、ペブルビーチ・コンクールにおいて大きな成功を収めてきた。ブガッティ・オートモービルズのステファン・ヴィンケルマン社長とブガッティ・デザイン・ディレクターのアキム・アンシャイトは、何度も審査員を務めている。また、ブガッティは、カスタマーや選ばれたゲスト、世界中のプレス関係者に現代のモデルを紹介するために、この特別な場所を選んでいるのだ。



2008年、ペブルビーチで開催されたコンクール・デレガンスの前夜祭で、ブガッティ ヴェイロン 16.4 グラン・スポーツがワールドプレミアを迎えた。この車は、Gooding & Companyが主催するペブルビーチ・オークションに出品され、290万ドル(3億2000万円)(バイヤーズプレミアム前)という値段を叩き出し、ブガッティはその全額をペブルビーチ・カンパニー・ファンデーションのチャリティに寄付した。ブガッティはこれまでに約3,000万ユーロ(38億円)をチャリティに寄付してきた。

さらに最近では、2019年にブガッティはモントレー・カー・ウィークで、伝説のブガッティEB110へのオマージュとして特別に制作された「チェントディエチ」という特別仕様車を展示するなど、ブガッティとモントレー・カー・ウィークの関係は今なお深く続いている。



ブガッティ・オートモービルズのステファン・ヴィンケルマン社長は、「愛好家たちは、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスを世界最大の自動車の祭典とみなしていますが、それは当然のことです。ブガッティは、1950年の第1回大会から始まったこのコンクールとの関係を非常に誇りに思っていますし、過去70年間で最も多くの "ベスト・イン・ショー “賞を受賞してきたことも非常に光栄に思っています。このイベントは、毎年、お客様と交流し、新しい友人を作るための完璧な舞台を提供してくれます。私たちは、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスとの特別な関係を今後も続けていきたいと思っています」と述べている。


オクタン日本版編集部

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