ブルーノ・サビーが語る、激しく強く、儚く切ないグループBの物語

Peter Singh of Artcurial



■オメールのコレクション

数々の事業を手掛けるミシェル・オメールは、中でも自動車誌『エシャップマン』の発行人として知られ、またフランスにおけるラリークロスの生みの親としても有名だ。その彼がグループBマシンを集め始めたのは、グループBがWRCから排除されてすぐのことである。彼はそれまでの人脈を活かして最高の車をコレクションに加えた。たとえば、彼のアウディ・クワトロS1E2(シャシーナンバー16)は、1988年の最初の「レース・オブ・チャンピオンズ」のために製作されたものだ。同イベントは、ミシェル・ムートーンが共同創設者としてトイヴォネン追悼のためにパリ近郊モンレリー・サーキットで初めて開催されたものである。この改良型クワトロは、グループBの過剰性を象徴する最強のマシンだが、1986シーズンにはより敏捷なミドエンジンのT16やS4には敵わなかった。ところが、驚くべきことにサビーは大のお気に入りだという。

ショートホイールベースのアウディ・スポーツ・クワトロS 1 E 2は、グループBの終焉から丸2年も経った1988年の最初の、レース・オブ・チャンピオンズのために造られたもの。ワルター・ロールが出場した。



「強大なパワーのおかげでその重さを感じなかった。グラベルタイヤでターマックを走ったにもかかわらず、非常にバランスが良かった。グループBでは適切なタイヤを選ぶことが非常に重要で、かつ難しい。この車のポテンシャルはもっと高いのかもしれない」

「ルールを決める人間は、多くの抜け穴を見つけようとするエンジニアたちがどれほど賢いかを想像できないんだ。ルールが十分に素早く対応できないのなら、すべてに網をかけたほうがいいのかもしれない。私たちは皆過去の出来事を残念に思っている。しかし、私たちは幸運にも経験できた。パワー、スピード、ナイトステージ。最高の時代だった」

MGメトロ6 R 4は元ディディエ・オリオール車、プジョー205 T 16はサビー自身が乗った車だ。


アールキュリアルに出品される7台のオメル・グループBコレクションの最後の2台は、元カレ・グルンデルのフォードRS 200(上)と元ファブリーツィオ・タバトンのランチア037(下)。



編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA
Words:Paul Fearnley Photography:Peter Singh of Artcurial

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: Paul Fearnley Photography: Peter Singh of Artcurial

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