2017年に岐阜の納屋で見つかった超貴重なホコリまみれのフェラーリ

Images:RM Sotheby’s



記録によると、マラネロの工場を出た" 12653 "は1969 年9月にボローニャの正規ディーラーにて販売され、同月にイタリアの自動車雑誌『Autosprint 』創設者のルッチアーノ・コンティが購入した。その後、1970 年に2 人のオーナーを経て、1971 年7月にイタリアでの登録を抹消されている。
 
それから3カ月後、12653は海を渡って日本へとやってきた。自動車雑誌『Car Graphic』の1972年1月号で、「The Magnificent Three from Italy 」と題した巻頭特集で紹介されている。この特集では、このデイトナのほか、朱色のランボルギーニ・ミウラ、ブルーのマセラティ・ギブリという、日本初上陸のスーパースポーツカーが取り上げられ、もし資力があったらどれを選ぶかなどと、エンスージアストの間で大きな話題となった。まだ日本にスーパーカーブームが吹き荒れる以前のことであった。
 
その後、12653は日本でも何人かのオーナーの手に渡ったが、最終的には岐阜県の好事家の納屋で長い眠りにつくことになった。


 
このフェラーリの存在は、少数のエンスージアストの間で噂にはなってはいたものの、多くの人の口に上ることはなかった。あるエンスージアストによれば、そのまま納屋にそっとおいておきたいという気持ちになったという。納屋に留め置かれたのは1980年頃だといわれ、それから数えて39年の月日が経った今は、12653は新しいオーナーの元へと渡っている。
 
この「バーンファインド・デイトナ」は、2017年9月9日にモデナで開催されたRM Sotheby ’s のオークションに、発見されたままの状態で出品された。跳ね馬42台の中に、このデイトナも含まれていた。シャシーナンバー12653は、エンスージアストたちの注目が集まる中、180万7000ユーロ(約2億3500万円)で落札された。これはエスティメイトを大幅に上回る価格だった。

文:オクタン日本版編集部 Words:Octane Japan

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