半世紀をポルシェ356と生きてきた男のストーリー

Delwyn Mallett



私が356に魅力を感じるのは、それが第二次大戦により発売が遅れた1930年代のストリームライナーそのものだからだ。フォルクスワーゲンタイプ64の1939年ベルリン・ローマ・レースカーは、356のプロトタイプだ。第二次大戦を除けば、開発に3〜4年しかかかっていないことになる。2台のスピードスターの後、私は初期のスプリットウィンドウの356を購入し、ベルリン・ローマ・レースカーや1951年と52年の最初のル・マン356からインスピレーションを得て、ストリームライナーの自作を始めた。これがイギリスで初めてのアウトローなポルシェだったと思う。その当時は、スプリットウィンドウの車は356Aと比べると荒削りだと思われたし、誰も興味を持たず、人に譲るのはほぼ不可能だったので改造ができた。ところが、現在では、その希少性からよく整備されたものなら20万ポンド(約3500万円)は下らない。

私が最初のポルシェを購入した頃でも、一般の人々はポルシェとは高性能なVWビートルだと思い込んでおり、ほとんどの人はスピードスターが何なのかを知らなかった。私の車は、赤いボディに黄色のホイールを履いていたから、子ども達には人気だった。実際それはノディ(1950年代イギリスの絵本のキャラクター)の車の様だった。彼らの親達がこれをVWカルマン・ギアと勘違いするのはまだ許せたが、その後、彼らが「これっていわゆるレプリカでしょ」と声高にいい出したのには参った。

50年も"2個のバスタブ" の中から世界の流れを見てきた私の顔には皺ができた。私の赤いスピードスターは、私とともに年を取り、私よりもやつれて見える。もう片方は、工場出荷時そのままとはいえないが、今でも1957年に最初のオーナーが満足したのと同様の喜びを感じさせてくれる。今ではそのリアエンドには120頭の馬(もっと多いかもしれない)が入っているが。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:東屋 彦丸 Translation: Hicomaru AZUMAYA  Words: Delwyn Mallett

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