貴族の嗜み│歴史的なルマン出場車 ラゴンダV12に試乗する

Photography:Simon Clay 



1939年ルマンまで6カ月しか時間が残されていないにもかかわらず、アラン・グッドはW.O.に2台のV12コンペティションカーの製作を提案し、ベントレーを驚かせ、怒らせもした。ふたりは協議を重ね、1939年は完走を目指し、1940年は優勝を狙うという計画で合意し、生産モデルをベースに数ヶ月間でルマンカーを完成させた。

シャシーには重量軽減口が開けられ、そこには薄いアルミ製のカバーを填め込んだ。またリアのスプリングは柔らかめのレートのものとなり、フロントアクスルは軽量化のために新造した。

市販型V12は、ボディ架装前のシャシー重量が1473kgだが、ルマン仕様は軽量のアルミボディを架装して1346kgに仕上がった。

ルマン後にブルックランズのレースに出場した際には、より頑丈なボディと交換され、ルマンでは必須のワイヤメッシュのウィンドスクリーンを外してあった。また、バンク対策として、リアスプリングのマウントはシャシーサイドに移った。ブルックランズのアウターサーキットでは、ブラッケンベリーとセルスドンが、第1レースの3周トライアルで1位と2位になり、セルスドンは最速ラップで128.03mph(197.6km/h)を記録、第2レースは放棄した。ラゴンダ・クラブの調査によると、この2台は合計12種のボディを架装したことがわかっている。



ルマン用エンジンは、圧縮比を8.5:1に高め、ハリー・ウェスレイクのアドバイスに従って小径のバルブを備え、ダウンドラウトSUキャブレターを大型化するなどによって、パワーは206bhp/5500rpmでまで高められた。また、ラジエターはヘッダータンクを拡大し、同時に高さを詰めている。ギアボックスは軽量ケースを用いた特製品で、ストレートカットの1速と、2速のギアレシオが引き上げられていた。

第二次大戦中、保管場所の近くにドイツ軍のV1爆弾が落下し、2台とも大きな損傷を受けたが、チャールズ・ブラッケンベリーが救いだし、2台とも現存している。セルスドンが乗ったカーナンバー5はアメリカに渡り、インディ500出場に向けて準備されていた。だが、レースを前にしてトラックに追突され、その後、クライスラー・ファイアーパワー・エンジンに換装されるなど、数奇な運命を辿った。1970年代になって、北米のラゴンダ・エンスージャストによって救い出されレストアされた。そして、2012年6月にボナムズがグッドウッド・リバイバルで開催したオークションに掛ける際に、私が試乗したのである。

現在のオーナーは、オリジナルパーツを集める努力を惜しまず、ルマン用V12エンジンとギアボックスはアメリカから買い戻し済みだ。現在搭載されているエンジンは、ロードカー用エンジンをベースに4個の大径SUキャブレターを備えた暫定ユニットで、ギアボックスもラゴンダ・ロードカーのものだ。

走り出した第一印象は、ヴィンテージカーだという感覚をまったく受けないことだ。エンジンは高回転まで回ることを好むが、その一方で低回転でも扱いやすい。2速以上にシンクロメッシュを備えたギアボックスの感触も素晴らしく、1960年代の実用車並の気軽さで扱うことができる。荒れた舗装路面での乗り心地も快適で、ロードホールディングも優れている。

速度計の備えがないので回転計から想像するしか手だてがないが、160km/hは瞬く間に到達する。コックピットは快適で、ペダル配置も適切なのでセンタースロットルにもかかわらずヒール・アンド・トウも容易であった。

歴史的に重要なルマンカーであり、別に保存されているオリジナルのレースエンジンとボックスに戻すには大きな投資が必要だろうか、その価値は充分に見いだせるであろう。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:数賀山 まり Translation:Mari SUGAYAMA 

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