貴族の嗜み│歴史的なルマン出場車 ラゴンダV12に試乗する

Photography:Simon Clay 



レースは前年より速いペースで進み、ドブソン/ブラッケンベリー組が12時間経過した時点で6位につけ、2台目のラゴンダに対して3ラップほど先行していた。日曜日の朝、ドブソン/ブラッケンベリー組がクラッチの修理で3ラップを失ったものの、3229.451km(平均速度135.560km/h)を走って総合3位でゴールし、セルスドン/ウォーロンは3219.480kmを走って4位で入賞した。これでラゴンダ・チームは5リッタークラスで1位と2位を得た。

セルスドン卿はその後、戦後初の1949年ルマンでルイジ・キネッティと組んでフェラーリ166MMに乗り(キネッティがほとんど運転したが)、3178.379km(平均速度132.420km/h)で優勝している。これはフェラーリにとって初めてのルマン勝利になったが、1939年のセルスドンのラゴンダよりも4周少ない走行距離であった。

この好成績を告げるラゴンダの広告は「イギリスレース界の地位を大きく向上した、ここ数年での最高のできごと」と謳った。ラゴンダのル・マン初勝利は1935年のことで、直列6気筒エンジンを搭載したラゴンダ・ラピードM45(フォックス/ニコル組)が3006.797kmを走破した。



1935年のル・マン初勝利の週末、経営難から管財人の管理下に置かれていたラコンダは、その翌日に富豪のアラン・グッドによって救済された。 W.O.ベントレーの指揮監督によって完成したラゴンダV12は、1930年代を代表する素晴らしい1台であった。当時のイギリスでは、V12エンジンを手掛けていたのは、ロールス・ロイスとラゴンダだけであった。

面白いことに、主要なエンジニアの何名かは両社で働いた経験を持っていた。それはW.O.がロールス・ロイスからラゴンダへ移籍する際に、元の同僚を何名か引き抜いたことが理由のひとつだ。なかでもスチュワート・トレシリアンは新しいラゴンダのエンジンの詳細に携わり、高回転が可能なようにストロークの短いレイアウトを採用した。RRファンタムⅢとラゴンダの各V12エンジンのボアとストロークを比較すると、RRが82.5×114.3mmの7320ccであるのに対して、ラゴンダは75×84.5mmの4480ccであった。

トレシリアンはシリンダーブロックとクランクケースはアルミ製にすることを望んだが、W.O.は静粛性と生産性の向上に寄与するとして鋳鉄製を選んだ。V12の場合には、メインベアリングを7個とすることもできるが、トレシリアンは4ベアリングを選択し、各スローに3個のバランスウェイトを備えた。コネクティングロッドはW.O.の担当で、軽量で強靱なジュラルミン製を採用し、クランクシャフトはニトラ合金鋼製とした。動弁系はSOHCで、吸気系は4個のダウンドラウトSUキャブレターを備え、台上試験では5000rpmで156.5bhpを記録した。4段ギアボックス(3~4段はシンクロメッシュ)には静粛なスパイラルヘリカルギアを用いたが、これはW.O.がロールス・ロイスから呼び寄せた、ベントレー時代からのスタッフであるチャールズ・シーウェルが設計した。また、4輪ドラムブレーキはロッキード製の油圧であった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:数賀山 まり Translation:Mari SUGAYAMA 

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