スーパースポーツカーの概念を打ち崩した1台│ブガッティ EB110

Photography:Paul Harmer



アルティオーリはEB110に3年間の保証と、保証期間内はすべてのメンテナンス代(タイヤやブレーキなどの消耗品含め)の無償化も計画していた。20年以上も前にこんなことを実行しようとしていたとは、実に"非常識"である。 ガンディーニが去ったことから、新たにEB110のスタイリングを担当することになったのは、前述したアルティオーリの従兄弟、ベネディーニだ。もちろん、車のデザインなどしたことはなかった。完成したEB110を見ると、ガンディーニが頑なに受け入れなかった修正案を反映させたり、外部からの助言などを受け入れたり、手探りで進んでいった様子が伝わってくる。妥協の産物だったともいえようが、この私には、唯一無二な雰囲気と未来感がアルティオーリの目指したとおりになっていると思える。

1991年9月14日、ブガッティEB110はフランス・パリの新凱旋門にて発表された。ちょうどブガッティの創設者であるエットーレ・ブガッティの生誕110周年とあって、車名は頭文字と110という数字が組み合わせられた。世界最先端の技術が惜しみなく投入され、世界最速の市販車という称号も手にしたEB110の投入は新生ブガッティにとって、幸先のよいスタートかに思われた。しかし、アルティオーリは自身のビジネスの稼ぎ頭のひとつであったスズキの輸入権を日本のバブル崩壊とともに剥奪されることになった。それでも1993年8月には、ロータスを買収するだけの余力はあったのだが。



しかしアルティオーリにとって一番の痛手は、EB110の販売不振という一言に尽きる。1992年12月に市販車第一号が納車され、1995年9月までEB110は生産された。3年弱でいわゆるエントリーモデルにあたる"GT"が累計102台、スーパースポーツ(以下、SS)が38台生産された。当初の計画は年間300台の販売であったから、これを大幅に下回った。ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けるはずだったスーパーセダン"EB112"計画(1993年発表)は消滅し、やがて新生ブガッティは幕を下ろした。

EB110はその後も数奇な運命を辿った。ル・マン24時間レースの優勝経験者であるヨッヘン・ダウアーが、ブガッティが倒産したときに生産中だったEB110 とパーツ数台分、そしてEB110のライセンスを購入したのだった。ダウアーは改良を加えて販売した。また、Bエンジニアリング社も数台分のパーツを購入し、EB110ベースの"エドニス"を生み出した。そしてVWグループがブガッティの商標を購入したのは、新生ブガッティが倒産してから4年後の1998年のことだった。

編集翻訳:古賀貴司 Transcreation:Takashi KOGA Words:Richard Heseltine 

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事