歴史的なグランプリカー"メルセデス・ベンツW196R"が高額で落札された理由

メルセデス・ベンツW196R



コックピットドリル
OctaneUK編集部のトニー・ドロンがW196Rをドライブした。

私が初めてW196Rのコクピットを見たのは、20年以上も前のことだが、大きな違和感を覚えた。幅の広いトランスミッショントンネルを跨いで座り、クラッチペダルは左側、そしてブレーキとスロットルペダルが右側に配置されていたからだ。ただ一度座ってしまえばそれは気にならない。

ステアリングホイールを外し、肘掛け椅子のようなシートに乗り込むと、ポジションが心地よいことに気づいた。視界から外れた右足の下にあるギアレバーの操作には集中力が要求される。シフトパターンは、1速がレバーの上にあるボタンを押した状態で左前方。2速は、その右後。3速はそのまま前方。4速はまたその右後、そしてトップは再び前だ。

それは慣れた動作を、鏡を見ながら逆に行うような感覚だ。特に違和感を覚えるのは主にギアを上げるために前へシフトする時だ。GPカーのドライブは考えることも多くて忙しいため、扱いは事前に熟知しておく必要がある。

ヒストリアンのカール・ルドヴィクセンが著した『メルセデス・ベンツ・レーシング・カーズ』という素晴らしい書籍には、W196Rを運転した全員がシフトギアをパズルのように感じ、頭脳派のピエロ・タルッフィですら初練習で4速と誤って2速に入れてしまい、オーバーレヴを喫してしまったと記されている。幸いなことにタルッフィはデスモドロミック・バルブ開閉機構のおかげでエンジンを壊すことがなかった。

1983年、私はホッケンハイムを会場にしたメルセデス・ベンツのヒストリックレーシングカーのテストドライブ会への招待を受けた。ギュンター・モルター広報部長で、氏は1954年にダイムラー・ベンツがレース界に復帰した時期には既に同社に勤めていたというキャリアの持ち主だった。その時は私はギアシフトを間違わずに運転できたことに安堵した。

私がモルター氏から試乗を許されたのは、のモナコ用に作られた、ショートホイールベースのモデルで、前輪のブレーキはアウトボードになる。途中までファンジオがリードしていたモナコでは稀な故障に見舞われたが、1カ月後のオランダGPでは優勝している。

GPレースでのメルセデス・ベンツの素晴らしい功績の要員のひとつに、細部へ気配りがある。の部品が故障したら、効果的な変更が直ちに行われた。また、大掛かりな変更も素早く対処することができた。GPレースに復帰する際、直線でのスピードが一番の目標で、そのため、オリジナルのW196Rは2350mmの長いホイールベースと流線型のボディを持っていた。そうした意味では、その時代では最高峰のGPカーだった。ファンジオがドライビングの精度を高めるためにはオープンホイール・ボディの方が好ましいと言った際は、新しいボディを数日内で完成させた。そして、1955年のレースでは従来の直線の長いコースから、細かい曲がりくねったコースが多いとわかると、すぐさまホイールベースを2150mmまで詰めた新しいW196Rを設計した。さらに数週間後に投入された仕様では、2200mmのホイールベースを持ち、これは"ミディアム・ホイールベースカー"として知られるようになった。

W196Rのショートホイールベース(SWB)仕様に関してモスが好意的に思うことのひとつが、アウトボードブレーキのため、ダストがコックピットに入らないことだ。ニュルブルクリングでのテストでは、ファンジオとモスはSWB仕様のW196Rはドライビングが難しいと感じていたものの、両者とも"ミディアム"よりも5.5秒ラップが早かった。

ニュルブルクリングよりも簡単でスムーズなコースのホッケンハイムは、SWB仕様のW196Rとの相性が良い。ステアリングが実にシャープだ。試乗の際に告げられたレヴリミットは記憶していないが、1955年の上限だった8700rpmは大きく下回っていた。低速から立派な排気音を響かせ、荒ぶる事ない強い加速感を覚えた。この条件下での運転は、"中毒性のある"楽しい時間だった。ピットに戻ったとき、最初に話しかけて来たのは、大先輩ジャーナリストで1955年ミッレミリアにスターリング・モスのコ・ドライバーとして優勝を果たしたデニス・ジェンキンソンだった。色々と聞かれた後、「普通の燃料で走るようにデチューンされているので、あなたは1955年当時のフルパワーは体験されてはいないですよ」と教えてくれた。

1955年、モナコとオランダGPの間に行われたベルギーGPでは、スパの高速サーキットに適したロングホイールベースをファンジオは賢く選択していた。1983年のホッケンハイムでの素晴らしい体験から20年、私は再びメルセデス・ベンツに招待していただき、今度はファンジオがスパで勝利した車を運転する幸運に恵まれた。会場となったグッドウッドでのフェスティバル・オブ・スピードの天気はよく、車は難なく走行した。細いヒルクライムで、W196Rのスピードと長さを感じて驚いた。このコースでは若干大きく感じたものの、ハンドリングも温厚で、自然なフィールだった。



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1954-55年メルセデス・ベンツ W196R
エンジン:2496cc、直列8気筒、デスモドロミック・バルブ、ツインイグニッション、
ローラーベアリング支持クランクシャフト、ボッシュ製機械式燃料噴射、セントラル・パワー・テイクオフ
最高出力:257bhp/8250rpm(1954年フランスGP)、280bhp/8700rpm(1955年シーズン中盤) 最大トルク:不明
変速機:前進5段MT+後退、トランスアクスル ステアリング:ウォーム・ローラー
サスペンション(前):ダブル・ウィッシュボーン、トーションバースプリング、テレスコピックダンパー
サスペンション(後):ローピボット・スウィングアクスル、トーションバースプリング、テレスコピックダンパー
ブレーキ:4輪インボードドラム
車重:650kg(ドライ) 最高速度:170mph(約274km/h) ギア比による

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)
原文翻訳:数賀山まり Translation: Mari SUGAYAMA Photograpy: Tim Andrew

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