英国王室・エリザベス王女の最初の御料車|デイムラー・リムジン【前編】

Andy Morgan

エリザベス女王のプリンセス時代、最初の御料車として仕えたのはデイムラー・リムジンだった。



プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世は、史上初めて車に乗られたロイヤルファミリーになられた。王に御料車の使用を進言したのはロード・モンタギューであり、助言に従って1900年にはフーパー製フェートンボディの6hpデイムラーを購入された。

王様のカーメーカー


これが世界初の御料車となり、これ以来、デイムラー社は『王様のカーメーカー』の称号を与えられることになった。ロード・モンタギューは、英国のナショナルモーターミュージアムの元となった自動車コレクションを作った自動車通であった。

それから半世紀を経て、エリザベス王女は 1947年製DE27を最初の御料車とされた。若いプリンセスは、父君に御料車として仕えたデイムラーや、さらに古いデイムラーに囲まれて成長され、18歳を迎えた1944年、父君は2.5リッターのデイムラーDE18サルーンを王女にプレゼントされた。DE18は登録番号“JGY280”を与えられ、女王はその後に所有されたすべての車をこの番号で登録した(訳註:英国では登録番号は所有者に帰属する)。

王女は1938年に英国陸軍が組織した女性部隊の補助地方義勇軍(ATS)に、1945年からトラックメカニックNo.230873として加わり、そこで軍の暫定運転免許証を取得されている。軍務に就かれてからもご自分のDB18を愛用され、後にはフィリップ殿下との新婚生活を過ごされたマルタ島にも持ち込まれている。しかしながら王女の生活は次第に公のものとなり、婚約が正式になるにつれ、父君のランチェスター・リムジンや正式なデイムラーを使うことが多くなった。

1947年、エリザベス王女はフィリップ・マウントバッテン卿と結婚。この時、王立空軍と婦人補助空軍では結婚祝いを募り、スタインウェイ社のグランドピアノと王女の個人的な使用のための4000ポンドの小切手を贈った。王室がこれの使い途として新しいリムジンの購入を提案したところ、王女のDE18と父君の御料車の中間に位置するDE27フーパー製シックスライト・リムジンがデイムラーの在庫にあることがわかった。デイムラーは大戦後にこのシャシーを製造、1945年にフーパーコーチワークス社でリムジンボディを架装して、47年に“FVC155”として登録していた。



初めての御料車


車は“HRH1”として再登録されて1948年2月2日に王室に納車された。フーパー製シックスライトでは後席左右に4枚のウインドウがあるが、ガラスに細いエッジが付くだけという、たいへんエレガントな“本当のピラーレス”であるため、後席は明るく、ほとんど遮るものなく外を眺めることができ、また沿道からも若い王室カップルがよく見えた。

リアコンパートメントはピラーレスウインドウのおかげで広々と明るい。フーパーコーチワークス社のコーションプレートが残る。

車体は漆黒で仕上げられ、英国リムジンの定石に従ってショーファー席は耐久性を考慮してダークブルーの革張り、リアコンパートメントは上質なウエスト・オブ・イングランド・クロースで張られ、ウイルトンカーペットが敷き詰められた。リムジンには必須のガラス製パワーデビジョンによって前後キャビンは仕切られた。また、リアコンパートメントにはパワーオペレーションの左右のウインドウ、ラジオ、従者のための補助席2脚が備えられた。後席ドア外側には王室の紋章、ルーフフロントにはこの車が特定の交通特権を持つことを示す警察型ライトなど、王室の正式車両としてのスペックを備えている。

フロントのレザーベンチシートは本来ショーファーの仕事場だが、ときおりフィリップ殿下が座られることもあった。

ショーファーの仕事場の引き出しにはグリースポンプなど工具がたくさん。

王室の車馬課に納車されてから数週間を経ずにデイムラーは最初の公務についた。4月23日には、ガーター勲章の叙任を済まされた女王夫妻をウインザー城内のセントジョージ礼拝堂に迎えにあがり、その3週間後には若い夫妻をパリの北駅で迎え、パリ市内を回り、お二人をエトワール凱旋門の下にある第一次世界大戦の無名戦士の墓にお連れし、そこで夫妻は花輪を手向けられた。

王女のデイムラーは公務で使用されただけでなく、若い夫妻のファミリーカーとしても活躍した。チャールズ皇太子にとって初のドライブは、2歳を迎えられる直前の1949年1月5日のことで、父君の運転でバッキンガム宮殿からサンドリンガムまで、後席に座る母君の腕の中でのことだった。

1893年にゴットリーブ・ダイムラーの特許を買って英国デイムラー社を起こしたフレデリック・リチャード・シムズは、RAC王立自動車クラブのファウンダーでもある。したがってこの車にこのバッジは完全に適切。

伝統の断絶


しかし、過去2世代にわたる世界で最初の王室御料車の伝統はもはや受け継がれなくなり、その流れの中で“HRH1”の登録プレートはほどなく他車に移された。「ロールス・ロイスと入れ替えられたのです」と後述のグリンター氏はいう。

1902年から“ロイヤルワラント”を持つ、現存する英国最古の自動車メーカーであるデイムラーに対抗してロールス・ロイスは“運動”に余念がなかった。高性能車がお好きなフィリップ殿下と、女王の思慮によって王室からの発注に漕ぎつけ、特製のファントムⅣが1950年7月に納車された。この後の献身的な車へのサービスが評価され、ロールス・ロイス社は1955年に晴れて女王陛下の車両製造業者として“ロイヤルワラント”を授かった。

これが、今日この車を私たちが取材できた理由である。長年この車に関わった英国のオークショニアであり王室の専門家でもあるジェームス・グリンターはいう。「走行距離4万4000マイル、オリジナルコンディションの車両です」と語る。

DE27フーパー・リムジンは王室から離れた後、“LGY905”として再登録され、ロンドンの老人介護施設の送迎用となり、その後の1965年には、ハートフォードシャーの個人ハイヤー会社で短期間使用された。そこから救出したのは、デイムラー愛好家でヒストリアンのブライアン・スミスだった。車は当時すでにかなり荒れていたと彼は述べている。最後のオーナーの没後、デイムラーには5ポンドのスクラップ価格がオファーされた。そこでスミスはわずか10ポンドで入手してエセックス州の自宅まで牽引すると、デイムラーのスペシャリストであるメイソンズ・オブ・エドモントンにエンジンのリビルドを依頼した。彼はリビルドしてから数ヶ月間使用し、アメリカ人コレクターのアーサー・リッピーに売却。車は1960年代後半にコロラド州マニトウ・スプリングスに渡り、その後20年以上を経てケント州のコレクターによって再び英国に戻った。

はっきりさせておきたいのは、フィリップ殿下は内なる競走心をこの車で満足させることはなかったことだ。だがそれは、この巨大な車がエンスージアスト的魅力に欠けていることを意味するものではない。たとえ歴史上最大のデイムラーであるDE36に次ぐ、全長213.5インチ(5.4m)、ホイールベースが138インチ(3.3m)のプロポーションがスポーツカーの軽快さから程遠かったとしても、である。




【後編】へ続く


編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers)
Words: Glen Waddington Photography: Andy Morgan

小石原耕作(Ursus Page Makers)

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