F1史に残る名ドライバー、ナイジェルマンセルがフェラーリからプレゼントされたテスタロッサ

RM Sotheby's

1980年代が終わりに近づくにつれ、当時の偉大なF1ドライバーたちの間では権力闘争が勃発した。アラン・プロストとネルソン・ピケがそれぞれ3度のドライバーズチャンピオンに輝いた一方で、ピケの同胞であるアイルトン・セナの脅威も、1988年に彼が初めてタイトルを狙ったことで明らかになっていた。それに比べれば、スクーデリア・フェラーリはただただ幸運を祈るくらいしかなかった。1988年シーズンはわずか1勝を挙げただけで、チームボスは抜本的な改革を余儀なくされ、ミケーレ・アルボレートとの契約は翌年以降更新されなかった。

状況を好転させようと躍起になったスクーデリアは、1989年シーズン、ミケーレ・アルボレートが去った後の空席を埋めるために、モータースポーツ界で当時最も優秀な才能に注目した。彼らが目をつけた男の名はナイジェル・マンセル。ウィリアムズで1986年と1987年に連続してドライバーズ選手権2位を獲得し、高い評価を得ていた。バーミンガム育ちのマンセルは、エンツォ・フェラーリから直々に指名された史上最後のフェラーリ・ドライバーとして脚光を浴びる。



チームでのマンセルの評判は上々だった。彼は1988年のイタリアグランプリを病気で欠場したものの、1989年のブラジルグランプリでは、スクーデリアでのデビュー戦ながらも1位フィニッシュ。順調なスタートを切った。大胆不敵な決断力が武器のマンセルはティフォシ(フェラーリの熱狂的ファン)の間で "イル・レオーネ "と呼ばれるようになり、フェラーリでの活躍は彼に大きな収穫をもたらした。1988年のクリスマス直前、マンセルはフェラーリ・テスタロッサをプレゼントされたのだ。



マラネッロのファクトリーから右ハンドル仕様で出荷された約500台のうちの1台とされるこのテスタロッサは、サリー州エガムに本拠を置くフェラーリの正規ディーラー、マラネロ・セールスによってイギリスに輸入された。1988年12月23日にスイス、ジュネーブのジェスティオンズ・スポルティーヴ・オートモビルズ SAに最初に供給されたと記されており、マンセルはその直後にテスタロッサを引き渡されたことが確認できる。



マンセルは1993年12月までこのフェラーリを所有していたと考えられている。オドメーターは10,227マイルを記録しているが、オリジナルのオドメーターは4,700マイル時点で一度交換されているそうだ。そしてこのフェラーリには、シャシーとエンジンのマッチングナンバーは一致しており交換されていないことも確認できる。



特徴的な点としては、ナイジェル・マンセルとの密接な関係を称える記念のメタルプレートが取り付けられ、スクーデリア・フェラーリのドライバーのイニシャルが誇らしげにエンボス加工されたラゲッジセットが付属する。RMサザビーズのオークションに現在出品中の、この由緒あるテスタロッサは、フェラーリファン、モータースポーツファンにとって理想的なコレクターズアイテムであると言えるだろう。



オクタン日本版編集部

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