連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.1 ローラGT MK6とフォードGT40

T. Etoh

1960年代のレースシーンで大きな成功を収めたモデルの一つにフォードGT40がある。その誕生秘話は実に興味深く、レース車両開発にあたり、フォード本社はフェラーリを買収する手続きに入りそれが土壇場で覆ったことなどは、映画『フォードvsフェラーリ』でも描かれていることなので、この時代に興味のあるレース好きにとっては有名な話である。そのフォードGT、結果として開発期間を短縮するために取った手段はやはり既存の車を参考に作り上げるという手法であった。そして目を付けたのがローラGT Mk6であった。



このローラGT Mk6は、1963年のル・マン24時間にデービッド・ホッブス/リチャード・アットウッドのコンビで出場し、15時間目でリタイアを喫するのだが、その潜在的ポテンシャルを見出したフォードがこの車を購入、設計者のエリック・ブロードレイも併せて2年契約でフォードGTプロジェクトに参画することになるのである。

ローラGTは3台が製作された。最初のモデルはプロトタイプとして1963年にロンドンで開催されたオリンピアレーシングカーショーに展示され脚光を浴びる。ただし、この時展示されたシャシーLGT/Pは実際の生産型とは異なり、スチールモノコック構造を持っていた。それが2台目のシャシーLGT/1からはアルミモノコックに変身していたのである。63年と言えばまだまだミドシップのプロトタイプスポーツはめずらしく、この年のル・マン24時間のエントリーを見ても、ミドシップはローラの他に優勝したフェラーリ250Pのみであった。したがって、フェラーリ買収に失敗したフォードがローラに目を付けたのも半ば当然の帰結だったのかもしれない。



フォードによるフェラーリの買収話には別の裏話もあり、信憑性のほどは定かではないが、ローラGTを購入したジョン・ミーカムにもフェラーリから売却話が舞い込んでいたというもので、当時フェラーリのヘビーユーザーで、250GTOなどのレースマシンも走らせていたミーカム親子は62年にエンツォ・フェラーリのもとを訪ねている。もっともそれが会社売却の話であったかは定かでないが、MSNのネットにはFord v Ferrari :The real storyとして紹介されている。

さて、フォードはル・マンに出た2台目のローラとオリンピアショーに展示された1台目のスチールモノコックの双方を購入した。ただし、2年契約だったはずのブロードレイは1年たってフォードGTプロジェクトリーダーだったロイ・ランとの意見対立から、自らドロップアウト。理由はアルミモノコックを推したブロードレイに対し、スチールモノコックを主張したロイ・ランの折り合いがつかなかったことによるとされる。その時スチールモノコックシャシーの1号車もブロードレイとともにローラに戻り、その車はカバーを被されて倉庫の片隅に眠っていたのだそうだ。カムテイルを持ったコンパクトで美しいデザインのこの車はジョン・フレイリングによって仕上げられたもので、彼はロータス・エリートのデザインにかかわり、さらにローラではGT Mk6の後に誕生し、日本でも数多くのレースに出場したT70のデザインも手がけた人物である。

フォードに渡ったLGT/1のローラがその後レースに出場したという記録はなく、長くその存在が不明であったが現在はなんと日本人の手元にあるという。3台目のLGT/2シャシーのモデルは新車時にジョン・ミーカムレーシング(古い人だとメコムレーシングと言った方が通りは良い)に売却され、主としてアメリカ国内でレースに出場した。そして1台目及び2台目と大きく異なっていたのは、グラマラスなワイドフェンダーに姿を変えていたことである。



ローラGTは決して大きな成功を得たマシンではなかったが、それがフォードGT誕生に寄与したという点で今もその名を歴史とどめているマシンと言えよう。そしてミーカム・レーシングからエントリーしたローラGTは、初期のフォードエンジンからトラコチューンのシボレー6リッターV8エンジンに換装され、バハマスピードウィークとナッソースピードウィークで優勝を飾る。これが63年にあげた唯一の輝かしい成績である。この時ドライブしたのはオージー・パプスト。彼は翌64年のロサンゼルスタイムスグランプリにこのメカムローラで出場するもガードレールに激しくクラッシュ。パプストの顔面1インチ手前で車が止まり辛くも命拾いしたというエピソードがある。激しいダメージを負ったマシンはその後、1983年から85年の3年間をかけて新たなオーナー、トム・フレデリックの下でレストア作業が行われ、復活。その車がこの写真に登場するマシンである。



写真からもわかる通り、ルーフにまで深く切れ込んだドアオープニングや、室内のメーターレイアウトなどは、フォードGTがこの車を参考にした証左でもある。









余談ながらスチールシャシーのLGT/Pはローラカーズの倉庫に眠っていた車を当時シェルビーアメリカンのワークショップで働いていたアレン・グラントが発見。エンジンレス、ミッションレスの状態だったマシンを僅か3000ドルでエリック・ブロードレイから譲り受け、2017年にようやくフルレストアが完成し、雨のグッドウッドでマシンを走らせ今もグラントのもとにある。そしてこの写真のLGT/2はレストア後にドイツのロッソビアンコ博物館に売却され、その後は各地を転々とした後、現在はLola Mk6 Gt LGT-2 1963というフェイスブックに登場しているので、元気に各地を走り回っているようである。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

中村孝仁

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事