非合法公道レース映画『キャノンボール』のスター、伝説のカウンタックは今どうしている?

courtesy of Preston Rose/Hagerty Drivers Foundation



「私を含め、車を愛する同世代の多くがあの映画を見た」と話すのは、撮影で使われたカウンタックの現オーナーで、フロリダ州に住むジェフ・イッポリティだ。

「そのとき私は18歳で、カウンタックにすっかり夢中になった。ああした車が実際に走るのを見るのは初めてだったし、サウンドにも圧倒された。ランボルギーニやフェラーリは雑誌でしか見たことがなかったんだ。映画館に10回以上通ったと思う。いつかカウンタックを所有できる日が来るなんて夢にも思わなかった。映画で使われたまさにその車なら、なおさらだ」

このカウンタックLP 400 S、シャシーナンバー1121112は、400 Sシリーズ2で、ブラックのボディにインテリアはセナペ(マスタードイエロー)。1979年11月14日に、ファクトリーからローマのディーラーに運ばれ、すぐにアメリカに輸出された。イタリアで登録された形跡はなく、最初のオーナーはフロリダに住むテリー・バーニアスで間違いないと見られている。バーニアスは、『キャノンボール』の監督のハル・ニーダムと知り合いで、カウンタックを撮影用に貸し出した。

このカウンタックは400 Sなので、オーバーフェンダーとフロントスポイラー、一新された計器類、低いサスペンション、改良型ブレーキを装着し、ロープロファイルのピレリP7タイヤを履く。これらは、カナダの石油王でF1チームオーナーのウォルター・ウルフが1975年に“スペシャルオーダー”したワンオフの好評を受けて取り入れられた。

オーバーフェンダーは、ウォルター・ウルフのワンオフで最初に装着され、400 Sで標準仕様となった。無線アンテナ、フロントウィング、ずらりと並ぶ12本のテールパイプは、映画撮影用に取り付けられたもの。

アメリカでは1986年までカウンタックの正規輸入はなかったが、発売当初から非公式に持ち込まれ、公道走行の認可が下りるように手が加えられた。なかでもカウンタック400 Sこそ、アメリカのティーンエイジャーの心をわしづかみにしたモデルだ。付け加えられた空力パーツで、カウンタックの特徴的外観はいっそうシャープになり、その需要は長年衰えることがなかった。

イッポリティが、カウンタックを入手した経緯を話してくれた。「私は5歳のときから車に夢中だった。私の祖父は、10代でイタリアからアメリカへ移住し、整備士からやがてフォードのディーラーになったんだ。私は車に囲まれて育ち、仕事こそ別の道に進んだけれど、車は常に身近にあった」

「2004年に、メイク・ア・ウィッシュ財団のチャリティーイベントを兄弟で立ち上げた。コンクールを中心とするイベントで、映画の劇中車を何台か招待しようと考えた。あのカウンタックを撮影のあとフロリダのロン・ライスがずっと所有していることは知っていた。ライスは、サンオイルで有名なハワイアントロピックの創業者だ。監督の友人で、スポンサーも務め、ハワイアントロピック・ガールズと一緒に撮影にも参加した」

ロン・ライスが1969年に創業したハワイアントロピックは、1980年代にはアメリカで最もよく知られたサンオイルのメーカーとなっていた。コンテストで選ばれたハワイアントロピック・ガールズは、広告で活躍し、ビキニ姿でピットレーンやパドックを彩った。『キャノンボール』でもプールのシーンに登場する。ライスは撮影中にカウンタックを初めて目にして、購入を申し出ると現金で支払った。噂では10万ドルという当時としては莫大な金額だった。

イッポリティはこう話す。「フロリダのランボルギーニディーラーに、ロンを知っているか電話で尋ねたら、知っていると言うんだ。翌日にはロンから電話があり、自分は出席できないが、カウンタックは喜んで貸し出すと言ってくれた。撮影時のパーツは、前後のウィングから追加のライトや計器類、12本のテールパイプまで、すべて揃っていた。ただし、状態はひどいものだった」

「撮影後にインテリアはダークレッドに変えられ、いろいろな活動に利用されていた。ハワイアントロピック・ガールズをルーフに載せてビーチへ行く、といったことまでね。傷やへこみだらけだったけれど、実物を見ることができて、私は信じられない気持ちだった。これこそ私の究極の車だった」

イッポリティは、このカウンタックを何としても手に入れたいと思った。

「カウンタックに付き添ってきたロンの関係者に、これが自分にとっていかに重要な車かを話した。すると、ロンが売却を検討していると言うじゃないか。そこでロンに打診すると、途方もない金額を要求された。間違いなく市場価値を超える額で、私の資金ではとうてい足りない。それでも交渉を続け、1年半ほどして話がまとまった。2009年に、私がこのカウンタックのオーナーになったんだ」

映画撮影のあとは、ハワイアントロピック・ガールズの引き立て役として使われたが、現在は内装も美しく甦っている。

「それから2年半かけてレストアをし、撮影時の状態に戻した。幸いだったのは、スペシャルパーツがひとつ残らずそのまま装着されていたことだ。ただし、何もかも磨き直す必要はあった。本当に辛抱を強いられたよ」

レストアが完了してからは、カウンタックの使用頻度は減り、大切に管理されている。もちろん、ビキニの女性たちをルーフに乗せることはもうない。

「400 Sは車高が低く、ロードクリアランスが本当にわずかだ。フロントスポイラーは路面から数センチしか離れていない。自宅の車寄せの出入りにも苦労するほどだ。私はオーナーとして、大きな責任を感じている。もう10年もガレージにあるのに、いまだに自分が所有していることが信じられないよ。いかに目立つ車かも忘れるわけにはいかない。これで走ると、キャノンボールのカウンタックだと誰もが気づいて、取り囲まれるんだ。最高だよ」

このカウンタックのアメリカ史における重要性を示す証拠がある。シャシーナンバー1121112は、2021年に、アメリカのナショナル・ヒストリック・ビークル・レジスターに登録された30台目となったのだ。アメリカ内務省と共同で2013年に設立された協会で、その目的は、歴史的建造物や文化財と同じように、アメリカ史に残る重要な車両のヒストリーや関連情報をきちんと記録・保管して、未来の世代に伝えることにある。

サラ・バックマン演じるランボルギーニ・ガールズのナンバー2が、速度標識にバツ印を付ける有名なシーン。(20TH CENTURY STUDIOS)

この車がアメリカの歴史遺産として保護されることになったと聞いて、反骨精神旺盛なブロック・イェーツとハル・ニーダムはどんな顔をしただろう。なにしろ『キャノンボール』で最も有名なのは、つなぎ姿のタラ・バックマンがカウンタックから降り、55mph(88.5km/h)の速度標識にスプレー塗料でバツ印を付けるシーンなのだ。

史上屈指の偉大なスーパーカーのステアリングを握ったのに、アメリカの広大な平原を突っ切る一本道でそんな速度に制限されたら、誰でも同じ衝動に駆られるに違いない。


翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA
Words: Massimo Delbò Photography:  courtesy of Preston Rose/Hagerty Drivers Foundation

オクタン日本版編集部

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