3世代にわたって1100台以上を収集した一家の眠れるコレクション|マーイ・コレクション【前編】

Wouter Rawoens

たいていの国には、数十年をかけて大量に集められた個人コレクションがひとつはあるものだ。そうしたコレクションには、一般人の目に触れることのない多数の車が含まれている。博物館の展示品と違って華やかさには欠けるものの、秘められたロマンでは負けていない。

ベルギーは、小国ながらもクラシックカー界で強い存在感を放っている。この国を代表するのが、3世代にわたって集められたマーイ家のコレクションだ。一時は疑問の余地なくヨーロッパ最大級の規模を誇り、現在も1100台以上を抱え、最古の車両は1895年にさかのぼる。そのうち400台ほどは、1980年代に、オートワールド・ブリュッセルなど2つの博物館の基礎となった。しかし、さらに大量のコレクションが一般の目に触れることなく倉庫で眠り続けてきた。

背後に見えるのは、1929年ヴォワザンC14リュミヌーズ。広いガラスエリアから光が降り注ぐことからその名が付いた。

これまで日の目を見ることのなかったマーイ家のコレクションの一部が、2021年9~10月に、ヘントのヴァンキエー工場跡地で展示された。コレクションについてまとめた美しいガイドブック『Mahy – a Family of Cars』も刊行されている。

日常的なものから超エキゾチックなものまでが揃う、目を見張るマーイ・コレクションを作り上げたのは、父親のギラン、息子のイヴァンとハンス、そして孫のミシェルである。コレクションを始めたギランは、一族のボイラー製造業に加わることを拒み、父親に逆らって1930年代にカーディーラーとなった。13歳で家のモデルTをひと目見たときから車に夢中になり、BMWディクシーをベースにマーイモビールを製作した。これが最初に売った車となり、それを元手にアミルカーとブガッティを購入(ブガッティは非常に手がかかったため、ギランは生涯続くブガッティ嫌いになった)。

押しの強いビジネスマンで、たしなむのは洋酒入りチョコレートくらいだった(酔うにはそれで十分と言っていた)。ブリュッセルのレンタカー業と共にビジネスは順調に成長したが、第二次世界大戦でベルギーが侵攻を受けると、ギランはドイツの軍用車から燃料を抜き取って(ついでに車に細工もして)耐え忍んだ。

戦後は、大金を借りてヘントのウィンターサーカスという建物を購入すると、まずナッシュを、その後はフィアットやシムカをそこで販売して、財を築いていった。

この頃、個人的に所有していたのは、キャデラック、ヴァンダラー、モデルTなど数台だけだった。ギランの収集心に火を付けたのは、妻のジュヌヴィエーヴだ。牽引トラックにコンバートされかけていた1921年ロールスロイス・シルバーゴーストを救うよう説得したのである。

車がぎっしり詰めこまれたこうした“ホール”がいくつもある。

ここから、たちまちのうちにコレクションは35台に増えた。ギランは、ほかの者がジャンクと考える車をスクラップ置き場や納屋から救い出した。息子のイヴァンとハンスも、父親の収集旅行に同行して何百回もヨーロッパを巡り、やがて、一家が所有する14輪の手製“トランスポーター”を単独で任されるようになった。二人もそれぞれにディーラーを経営し、1960年代に急成長を遂げた。取り扱うメーカーもトヨタやフォードなどが増え、マーイ家が経営する4店舗のディーラーは、ヘント周辺の4台に1台を売るまでになった。販売が伸びると、当然(?)、収集も加速した。1963年にはコレクションは400台を数え、ヨーロッパ最大といわれるようになり、最上級のものは丁寧にレストアされた。


そして1970年代の波乱の時期を経て、一家のコレクションの台数はさらに膨大な量に増えていく…
【中編】に続く。


翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA
Words: James Elliott Photography: Wouter Rawoens

翻訳:木下 恵 Words: James Elliott Photography: Wouter Rawoens

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