センセーションを巻き起こした!史上初の「ドリームカー」を製造したのは意外なメーカー?

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意外なことに史上初のドリームカーを製作したのは自動車メーカーではなかった。金属加工専門のサプライヤーであり、当時デトロイト最大のボディメーカーでもあったプリッグス・ ボディーズが、空力的に優れかつ広々とした未来の車を制作したのだ。

空気抵抗の少ない流線型のシルエットを実現するため、ノーズは低く抑えられ、大型のフォ ード製V8エンジンはリアに搭載された。ヘッドライトはふっくらと丸みを帯びたフロントフェンダー上部に装着された。ティアドロップ型のリアフェンダーは、尻窄まりのボディ後端に独立する形で装着された。どのセダンも動く天蓋付きベッドのようなデザインだった1930年代に突如として登場した未来的なスタイル。このドリームカーがセンセーションを巻き起こしたことはいうまでもない。

【写真5点】センセーションを巻き起こした!史上初の「ドリームカー」を製造したのは意外なメーカー?


しかしなぜ、このような前例のない車が誕生したのだろうか。実は、華々しいドリームカーデビ ューの裏には秘密の動機があったのだ。当時ブリッグスのボディは大手自動車メーカー数社に卸されていたのだが、新興メ ーカーであるクライスラーにブリッグスが手を貸したことに、ヘンリー・ フォードは激怒した。このドリームカーはフォードのご機嫌取りのために制作され、 1933年10月にデトロイトで開催されたフオ ード主催の「進歩の展覧会」で発表されたのだった。



フードはこの車を使って世論調査を行うことにした。将来のトレンドを見極めることがその目的だ。

1934年にシカゴで行われた「進歩の世紀展」 にこのドリームカーが展示された際、紙挟みを手にした大勢の詞査員が来場者にアンケートを行 ったのだ。反応はあまり良いものではなかった。消費者が好むのは従来通りの直立型ボンネットや室体前面にそびえ立つグリルだったのだ。エンジンが後部座席後方に配置されることも嫌われる傾向が強いことが分かった。とは言え、1936年にフォ ードが発表した高級甫、リンカーン・ ゼファーには、ブリッグスの様々なデザイン要素が取り入れられたことは確かである。

ちなみに、このドリームカーを手がけたデザイナーは、プリッグスのチーフエンジニア、ジョン・チ ーダという人物である。彼の息子トム・ チャ ーダはイタリアに渡り、ギアやピニンファリーナ、デ・トマゾといったさまざまなカロッツェリアに所属。数多くのドリームカーを世に残すこととな った。

オクタン日本版編集部

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