マイケル・オブ・ケント王子が初春の軽井沢をドライブする

Photography: Yoshimi YASUOKA, Masaya ABE, OSATO Research Institute



今日世界中で行われているスポーツはほとんどが19世紀後半までに英国で誕生し定着したといわれているが、なぜそれが他ならぬ英国で起こったのだろうか。1600 年中期の清教徒革命により共和制となった英国では、それまで王によってむしろ奨励されていた競争や格闘技、フットボールなどのスポーツは粗野なものとみなされ嫌われるようになった。これを復活した立役者が支配階級ジェントリーとその子弟であるパブリックスクール、オックスブリッジの生徒達であった。彼らへの教育は支配階級の教養としての古典、人文学などと同時にジェントルマンとしての勤勉、節制、忍耐などが求められ、精神と肉体の鍛錬のため身体活動が重要とされた。



これら高度な教養を身につけた若者達がそれまでスポーツが白眼視されていた原因を改善するのは難しいことではなかった。彼らはそれぞれの競技にルールを設定し、1863年に世界最古のフットボール協会を設立、各種目ごとの組織も19世紀末までにはほとんど整備された。英国上流階級が文化、スポーツを積極的に後援するのは伝統であり使命といえる。中でも最も熱心にそれを体現している王室メンバーの一人がマイケル王子である。



 
マイケル・オブ・ケント王子は御歳77 。彼の父は国王ジョージ5 世の四男である。エリザベス女王の従弟にあたり、いくつかの行事に於いては女王の代理を務める。また多くの軍事役職を兼務すると同時に多数の文化団体、国際的慈善団体の支援を行っている。
 
陸、海、空全てをフィールドとするマイケル王子であるが、車、特にオールドカーには格別の興味があり、RAC のプレジデント、ベントレー・ドライバーズ・クラブやブリティッシュ・レーシングドライバーズ・クラブの名誉会員そして、2012年に女王の即位60 周年を祝って開催されたコンクール・オブ・エレガンスでは継続が決まった2013 年より名誉顧問を務めるのみならず、1934年ベントレー 41/4リッター ヴァンデン・プラ製オープンツアラーを自ら駆って参加もしている。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)が常識の英国では文化の継承、保護、支援は上流階級の当然の義務なのだ。

文:オクタン日本版編集部、小石原耕作 写真:安岡 嘉、阿部昌也、大里研究所  Words: Octane Japan, Kosaku KOISHIHARA

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