プリンス自動車のインサイドストーリ―第5回│プリンスが自作した1900スプリント

Kumataro ITAYA



1900スプリントの構想が固まると、デザインの取りまとめはイタリアで研修を積んだ井上猛さんが行なうことに決まった。デザイナーにはCPRBの時と同様にフランコ・スカリオーネを起用することにした。スカリオーネが自らのデザインオフィス、ステュディオ・チゼイを立ち上げた時からスカリオーネの許でデザイン手法を学んだ井上さんは、スカリオーネとの連絡調整役として最適の人選である。

ところが、肝心のスカリオーネとの連絡が取れない。日本とイタリアの間のコミュニケーションですら現在からは想像できないほど手間のかかった時代。しかも携帯電話のような個人との連絡ツールも未発達である。後に判明した事実は、この時期スカリオーネ本人と連絡を取ること自体、不可能に近かったことを示している。

スカリオーネは、プリンスから得たCPRBの対価を手に、
麗しい秘書と長いアヴァンチュールの旅に出ていたのである。それでは連絡が取れないのも無理はない。これはスカリオーネにも、愛すべきイタリア人としての血が流れていることを示すエピソードといえよう。



事情のわからないプリンスは当惑する。時間は刻々と過ぎていく。このような局面におけるプリンスの決断は早かった。スカリオーネをあきらめて井上さん自身がデザイン作業を行なうよう社命が下る。

短期間に井上さんが仕上げたデザイン案は6案。その内の2案は独自のものだが、他はミケロッティやギアの香りが感じられるもので構成されている。短時間でデザイン案を仕上げるために、他者のデザインを下敷きにする手法はそれほど珍しいものではない。ただし、6案のなかにスカリオーネによるCPRBを範としたデザインは含まれていない。

これは高度な戦術である。おそらく井上さん自身が思いついたというよりも、1900スプリントのプロジェクトリーダーである中川良一さんの指示によるものであろう。6案もの方向性の異なるデザインを検討する目的は、スカリオーネが描いたデザイン以外に適格なものはない、ということを確認するためである。短期間にできるだけ多くの可能性を吟味し、プリンスの首脳陣や関係者の納得の上で本命案に専念できる環境を整える。このステップを割愛すると、後々、他にもっと良い案があったのではないか、といった横槍が入る余地を残してしまう。黒田官兵衛ではないが、深慮遠望の策を講じることができたのは、プリンスの社内で中川良一さん以外には考えにくい。

6案のデザインスケッチを前にしてプリンス首脳陣が下した結論は、中川さんの狙い通り、原点に回帰しようというもの。スカリオーネがデザインしたCPRBをベースにして1900スプリントのデザイン作業を進めなさい、との決定に至った。

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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