ロード・モンタギューの記憶│誰よりも古い車への情熱を持って動いた人物

Photography:National Motor Museum



1965年秋に日本で開催された英国展のためには、1909 年のRRシルバーゴーストを携えて訪日し、宿舎の帝国ホテルから会場の晴海まで日本にあったクラシックカーとともにパレードした。この時、ロード・モンタギューはCCCJ(クラシックカークラブオブジャパン)を、FIVA(全世界のクラシックカー愛好団体を統括する国際組織)が1カ国1団体を置く下部組織と認定し、合わせてCCCJ名誉会員となった。

1960 年代のビューリー・ジャズフェスティバルに代表されるように、ロード・モンタギューの興味は車に留まらなかった。ショービジネス関係者が多く参加するパーティでは、ロード・モンタギューは伝説の存在であり、素晴らしいホストを務めた。ここには、世界中の女優や俳優、歌手、コメディアンなどが集うが、中でも忘れ難いのは先の大戦がテーマのパーティの時、当時の大歌手ヴェラ・リンがホワイトクリフ・オブ・ドーバーを歌いながら、往時さながらに優雅に階段を下りて来た時だ。これらのパーティは、活動の資金獲得やロビー活動のための理想的な機会でもあった。



彼のアイデアは尽きることがない。突然、「父の影響でエドワード7世が購入された1900年のデイムラーを、女王のシルバージュビリーの贈り物として我々がレストアすることになった」と言い、自動車工業界の協力を取り付けたりした。

ロード・モンタギューは広い分野で重要なポストを歴任したが、特に歴史的建物に関する功績は顕著で、ヒストリックハウス協会の設立に大きく関わったばかりでなく1973年の発足時には会長を務めた。1983 年にはこれら革新的な活動の成功により、政府はロード・モンタギューを英国の遺産を再認識する歴史的建造物とモニュメント委員会の議長に任命した。また、英国博物館協会が博物館の世界では最高位の役職である会長に卿を推薦したのは最大の評価であったといえる。

上院では講演を定期的に行い、ロビー活動の助
けとなる多くの高官たちと知り合う事ができた。車両をキャピタルゲイン課税から控除したのは大きな功績のひとつだろう。英国歴史車両団体連合の前書記であったジム・ワイマンは、「卿のオールドカーへの最大の貢献は、オールドカーに対する規制が決定される前に正しい検討がなされるよう、世襲貴族としての立場を最大限に利用したことだと思う」と語っている。

ロード・モンタギューは会長を務めていたFIVA 本部のあるブリュッセルに何度も足を運んでいた。オールドカーの世界は、舞台裏で人知れずロビー活動を展開する実力と行動力、そして誰よりも古い車への情熱を持って動く人間を失った。これは計り知れない損失であろう。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA Words:Michael E Ware 

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