フェラーリ250という伝説|1952年〜1965年までの18車種を徹底解説

フェラーリ250GTO



250 GT Boano / Ellena (1956-57)
ピニンファリーナがデザインし、ジュネーヴ・ショーでデビューした250GT。ただし、元ギアでコーチビルダーだったマリオ・ボアノに生産が委ねられたことでこの名がついた。純粋にピニンファリーナの生産キャパシティが不足していたことが、その理由。やがてボアノがフィアットに迎え入れられると、この仕事は義理の息子にあたるエツィオ・エレナに受け継がれ、デザインに多少の変更を施して生産が続けられた。


250GTボアノ/エレナ(1956-57年) 生産台数:74/50台


250 GT Cabriolet (1957-59)
410スーパーファストやスーパーアメリカで世に出た未来的な造形をピニンファリーナが採り入れ、ソフトトップのGTとして仕上げた1台。当時もっとも多くのファンが憧れたフェラーリとされる。
1957年のジュネーヴ・ショーで目映いばかりの脚光を浴びたのに続き、ワンオフとして少量が生産された。それは250の世界に華やかさが加わった瞬間だった。


250GTカブリオレ(1957-59年) 生産台数:40台



250 GT California Spyder (1957-63)
ピニンファリーナのカブリオレが洗練さの代名詞だとすれば、カリフォルニア・スパイダーは"自己主張の塊"といえる。アメリカのインポーターだったルイジ・キネッティの熱いラブコールに応える形で生み出されたコンバーチブルはアメリカ市場のためにデザインされたもので、スカリエッティによるボディワークには四角張ったスポーティな造形が敢えて採用された。ただし、初期のホイールベースはピニンファリーナのカブリオレと同じ。つまり、トゥール・ド・フランスとも共通のホイールベースだったが、エンジンもこのレーシング・バージョンから受け継いだ結果、公道だけでなくサーキットでも活躍できるパフォーマンスを手に入れた。
1960年のジュネーヴ・ショーでその発展版がデビューした。ホイールベースが250GTSWBと同じ2400mmにされると同時に、当時最新のV12エンジンを搭載し、280bhp/7000rpmの最高出力を生み出した。その当然の結果として、現在もっとも価値あるフェラーリの1台と見なされている。


250GTカリフォルニア・スパイダー(1957-63年) 生産台数:104台

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Glen Waddington

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