知っておきたい隠れた名車│ル・マン24時間で3年連続のクラス優勝をおさめた奇跡の1台

産業革命で栄えた街に誕生した、軽量・低価格車両メーカー、ジョウエット。ひょんなことでモンテカルロ・ラリー、スパ24時間で優勝を飾った。ひょんなことでアウトウニオン元エンジニア、ERA社とのコラボが実現し、ル・マン24時間で3年連続のクラス優勝を果たした、奇跡の話。



イギリス北部、ブラッドフォードはかつて19世紀の産業革命で繊維産業が一躍有名になった街だ。そんな街で1904年に軽量、低価格車両の普及を目指して1904年に「ジョウエット・モーター・マニファクチュアリング・カンパニー」が設立された。水冷式816cc水平2気筒エンジンのクルマは、決して速くなかったが、実直な商用車として定評を得た。

転機が訪れたのは、MGから若きエンジニア、ジェラルド・パーマーを採用してから、だ。パーマーが手がけた1500cc水平4気筒エンジンを搭載した「ジャヴェリン」が、戦後初開催となった1949年のモンテカルロ・ラリーでクラス優勝を果たしたのだ。同年、2リッターツーリングクラスのスパ24時間でも優勝を収めた。



気を良くした(?)経営陣は、レース参戦を目的としたオープン・スポーツカーを開発して、ル・マン24時間参戦を真剣に考え始めた。この話を聞きつけた、The Motor誌のテクニカル・エディター、ローレンス・ポメロイが友人でレーシング・ドライバー、レズリー・ジョンソンが買収したERA(English Racing Automobiles)の橋渡しをした。奇遇にも同時期、ジャウエットはアウトウニオン・タイプDの開発者、ローベルト・エーベラン・フォン・エバーホルスト博士を雇用していた。話はトントン拍子に進み、ジュピターが完成。



1950年、ジョウエットはジュピターでル・マン24時間レースに参戦した。傍から見たら無謀、好意的に見たら“勇気あふれる”行為だった。結果は…、1819.725マイル走破、平均速度75.84mphで1500ccクラスの新記録を樹立して優勝を飾った。そして、同年のモンテカルロ・ラリーは1、2フィニッシュを遂げた。1951年はジュピター2台、ジュピター進化版、「R1」1台で参戦し、2台はリタイヤしてしまうも、また1台のジュピターがクラス優勝。1952年には2台はワークスとして、1台はプライベートチームとしてR1でル・マン24時間に参戦。2台はリタイヤし、プライベートチームはクランクシャフトにトラブルを抱えながらも2位入賞。レース後のインスペクションで1位の車両がレギュレーション違反で失格、R1が繰り上げ優勝と相俟った。



R1は実験部門に引き取られ、やがて廃車処分が決定。そのうちの1台は従業員に払い下げられ、様々なオーナーの手に渡り、不死鳥のごとく復活したのだった。現存するジョウエットR1は世界にこの1台しか存在しない。


古賀貴司(自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom) Words: Delwyn Mallett Photography: Paul Harmer

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