桁違いの「じゃじゃ馬」デイトナはフェラーリ250GTOよりもレアな存在か?

Photography:Paul Harmer

365GTB/4のサブネーム"デイトナ"は、デイトナ24時間レースでフェラーリのレーシングスポーツカーが大活躍したことに由来しているが、果たして実力はそれに値するものなのだろうか。ル・マンの常連、サム・ハンコックがそのレース仕様をトラックテストする。

デイトナ・コンペティツィオーネの実力はいかに?
いまさら驚くかもしれないが、"デイトナ"は365GTB/4の正式名称ではない。

この名称は、1967年にフロリダで行われた24時間耐久レースで2台のP4と1台のP3/412Pが1-2-3フィニッシュを飾ったことを祝ってメディアが勝手につけたものである。それがいつの間にか一人歩きを始めたというわけだ。

デイトナは、当時デビューしたばかりの、革新的スタイリングで話題を呼んだランボルギーニ・ミウラに対するマラネロからの回答であった。彼らはミウラのスタイルはすぐに陳腐化すると見ていたし、レースに参加しないのは車の魅力度を高めることにならないという信念があった。グランツーリスモは、軽快さ、ハンドリングのよさ、それにライバル(もちろんミウラも含まれる)より少しでも速いストレートスピード、この3点を併せ持っていなければならない、というのがフェラーリの考え方だった。デイトナの最高速は174mph(約280km/h)と発表されたが、これはミウラの最高速に及ばないし、重量もミウラのほうが断然軽い。こうした芳しくないイメージを払拭するにはレースで活躍するのが最善の策。デイトナのコンペティツィオーネが誕生する素地はすでにこのときから出来ていたのだ。

フェラーリのカスタマーチームからはGTクラスでポルシェ勢に勝てる車が欲しいという強い要望があった。それに応じてフェラーリ顧客部門は1971年から73年までの3年間、年ごとに若干仕様の異なる車を 5台ずつ、合計 15台の365GTB/4コンペティツィオーネを公式に製作した。同類のものとしては、1969年にNARTのルイジ・キネッティのために製作した、けっして出来がいいとはいえないオール・アルミのプロトタイプがあったが、そのあとを受けたコンペティツィオーネはより低く、軽く、幅広いスタイルをまとっていた。ロードカーではエレガントだったラインは裾が広がるとともに膨らんだ形状になり、生産モデルとは異なって威風堂々とした姿を見せていた。

地道な改善も施された。空力のリフトを抑えるためにチンスポイラーやフロントフェンダーには空カフィンが立てられたが、より大きく変わったのがハンドリングとパワーである。ホモロゲーションによれば、あの有名なジョアッキーノ・コロンボの設計をルーツとする4.4リッターV12エンジンに触媒を付けた1973年までの後期モデルは、オリジナルの350bhpに対して100bhp上乗せが許される代わりに、ボディは一部スチールに戻さなければならなかった。そうはいっても生産車の乾燥重量から300kg軽くできたことで、シリーズIIIコンペティツィオーネは 0 -60mphで5.8秒、最高速186km/hを記録したと、この頃の『ロード&トラック』は記している。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Sam Hancock 

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