ツール・ド・フランスの愛称で呼ばれる名レースカー|フェラーリ250GTbベルリネッタ

フェラーリ250ベルリネッタ"ツール・ド・フランス"



0773GTのヒストリー
ここに紹介するこの飛び切り美しいTdFは、シャシーナンバー0773GTで、32番目に製造された第3世代である。最初のオーナーはジョージ・アレンツで、1957年11月にマイアミのココナッツ・グローブで車を受け取った。アレンツはアメリカン・タバコ・カンパニーを相続し、上質なものを楽しむことができる恵まれた境遇にあった。

この年アレンツは、オランダのジェントルマン・ドライバーであるヤン・デ・フルームと組んで、ルイジ・キネッティのノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)の創設計画に出資している。果たしてNARTは大成功を収め、世界中で200戦以上のレースに参戦し、ペドロ・ロドリゲス、フィル・ヒル、マステン・グレゴリー、マリオ・アンドレッティ、ヨッヘン・リントらを擁して、デイトナやランス、ル・マンで数々の勝利を挙げた。

TdFを受け取ったアレンツは、すぐにナッソーへ送り、第4回バハマ・スピードウィークでのガバナーズ・トロフィーに出走した。フィル・ヒル、マステン・グレゴリー、キャロル・シェルビー、スターリング・モスなど、パワーに勝るマシンに乗った強敵とのレースだったが、総合14位という健闘を見せている。しかし、0773GTにとって最高の成績となったのは、翌1958年のセブリング12時間だった。ドライバーはポール・オシェイ、ブルース・ケスラー、デビッド・カニンガム。やはりフィル・ヒルなど一流どころを相手にして、総合5位、クラス優勝に輝いたのである。

ここ以降、0773GTがたどったヒストリーはすべて分かっている。アレンツが所有した1年余りの間に16戦に出走したのち、キネッティによってキューバに売却され、そこで15年間はレースから離れていた。ヨーロッパに戻ったのは1977年のことで、その後、1990年にクリスティーズが催したモナコグランプリ・オークションにおいて175万ドルで落札された。

現オーナーは、0773GTをもっと活躍させる計画を練っていて、昨年はグッドウッド・リバイバルに出走した。ドライバーはRMオークション・ヨーロッパのマネージングディレクターを務めるマックス・ジラルドで、ヨッヘン・マスが駆るメルセデス・ベンツ300SLに10秒後れの3位フィニッシュを果たした。

マックスは2014年3月に行われたグッドウッド第72回メンバーズ・ミーティングのトニー・ゲイズ・トロフィーにTdFで出走した。予選2位からのスタートは上出来とはいかなかったが、レース中盤にライバルが横転して赤旗中断、再スタートで見事にリードを奪った。ACエース、ジャガーXK150、アストン・マーティンDB2を従えてトップを快走したが、6秒差をつけていたにも関わらず、周回遅れを抜きあぐねてスピンし、結局4位フィニッシュだった。マックスは自分のイタリア人気質を恨んでいた(オーストラリア人だが)。

このレースを見ていた私は、フェラーリ250TdFの洗練されたシルエット、その走り、そして神々しいばかりのエンジンサウンドに心打たれた。オーナーに、ぜひこの車を『Octane』で紹介させてほしいと頼むと快諾してくれ、マックスも取材に参加してくれることになった。



もっと写真を見る


編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事