ホンダが生み出した小さなヒーロー│シビックの歴史を振り返る

Images: Honda Heritage,Octane UK

シティーカーとして地味ではあるが、シビックはアメリカを嵐のごとく席巻し、素晴らしいエンジニアリングを有するブランドとしてホンダを頂点までいざなったのであった。

じめじめと暑い。1970年代物のビニールシートに座っていると、自分の身体の何かがシートにべっとりとくっついてしまうのではないかと思えるほどだ。しかし、ホンダはやわらかい素材をシートに使用していて、しかも私はジーンズを履いているから快適だ。ただ、ジェットブラックに塗られた3スポークのステアリングは手のひらに跡を残すであろう。

シビックは初代から9代までモデルチェンジをしてきた。そして、シビックの名は世界でも最も売れた車として知られている。モーターサイクルのブランドとしても世界最大であり、スーパーカブもその一部だ。ホンダのエンジニアリングには創設者である本田宗一郎の魂が注ぎ込まれている。彼は、1906年に生まれ、父親は鍛冶屋を営み、母親は織工をしていた。15歳の時に、父が彼を東京にある車修理工場であるアート商会へと送り込んだ。21歳に時には、浜松で支店を開き、修理だけでなく開発にも尽力し、1931年にはキャストアイロン製の車ホイールを生み出し、特許を取得したのであった。



ピストンリングに目をつけてからというもの、自身も工業学校に通いながら知識を増やしていき、戦後には本田技術研究所を設立した。しかし、当時の日本は輸送事情が整っていなかったために彼は、エンジンを自転車に載せるためにオートバイの研究をはじめた。2ストロークエンジン開発を進めていたところ、ホンダを共に育てあげる仲間となった藤沢武夫に出会ったのだ。1952年には、4ストローク オーバーヘッドバルブエンジンをつくりだした。同年終了までに、ホンダは1か月6500のホンダ カブを製造した。

1958年、ヨーロッパでのオートバイマーケットを成功させることを目的にスーパーカブを発表した。操作が簡単で、個性ある見た目で女性からの人気も集めたのだ。アメリカでの広告には、"ホンダに乗っている人は素敵な人ばかり"という言葉が掲げられた。これは、1962年までにオートバイを100万台以上販売したことを含めて考えられたものだ。

はじめてホンダが車をうみだしたのは1963年のこと。本田宗一郎はオートモビルマーケットへ参加していく日本人では最後の世代であり、最初にだしたS500についてはスポーツカーであることを主張していたという。しかし、低床式であったこの1台は日本の道を走るに相応しくなく、売れ行きはあまり良いものではなかった。1967年に製造された2シリンダーのN360もゆっくりな売れ行きであったが、結果的には日本で最も売れた軽自動車となった。



トヨタ カローラや日産 サニーをライバルとしていたH1300はより売れ行きの悪いであった。宗一郎の空冷エンジンに対するこだわりが、製造コストを上げただけでなく、アメリカの法が変わったことで輸出も出来なかったのだ。N360は安全面での訴訟問題も起き、ホンダは経営難に陥った。

空気汚染問題が騒がれていたアメリカのことを踏まえ、藤沢は空冷エンジンモデル開発を進めさせたのだ。そして、2ボックススタイルのショートファストバック 2ドアセダンのシビックが発表される。1972年7月11日にシビックは世界へお披露目された。1169ccの水冷エンジンモデルの後に、CVCCエンジンを搭載したモデルが登場し、アメリカのマスキー法に対応することを可能にさせた。



色こそは目立つものであるが、私が乗りこんだ1975年製の1台は小さく控えめな車だ。1972年に発表されたルノー5よりは若干長い。しかし、シビックは見た目において地味すぎたことは間違いないだろう。シビックが発表された年は、ジウジアーロが手掛けたデザイン性に富む車も次々と発表されていた時期であり、この見た目ではどうしても劣ってしまう。とはいっても、フロントグリルやホイール、フェンダーバッヂでみることが出来るエンブレムのフォントは印象的なものだ。ブルーのメーターにウッド調のダッシュボード、ダーク調のキャビンに2スポークホイールはスポーティな雰囲気を醸し出している。1973年12月には、エンジンに副燃焼室を持ち、排出ガス浄化技術のCVCCを採用した1500モデルが登場した。日本がうみだした本格的なスポーツカーとしてはじめてヨーロッパへ渡った車だ。



シビック1.2L デラックスで、バルセロナ近くのカステレのレイクサイドを走っていると、この車の小ささがとても快適に感じる。現代のコンパクトカーよりも小さいが、シビックの室内はより広い。しかし、タイトな曲がり角や坂を走るのに向いていないということは言える。



ゴルフやルノー5と比べてみてもシビックはこのコンパクトさ、ドライブへの気楽さ、信頼性において成功をおさめていることは明らかである。"20世紀優秀技術車 70年代版"を授賞しており、1973年にはヨーロッパ・カーオブザイヤーの3位も獲得している。



初代モデルは1979年まで製造された。1987年に登場した4代目シビックにはVTECエンジンが搭載され、1992年に登場した5代目にはクーペモデルが追加された。

シビックは成長し続けている。進化し、よりスポーティになりながらも誰もが乗れる一般的な車であるというポジションを変えることはない。1972年からはじまった歴史を現在でも感じることのできる要素を多く持っているのだ。

ホンダを象徴する車は何かと聞かれたら、それはシビックであろう。



Words: Antony Ingram

シビックの"テール無し台形シルエット"

都市での走りに合わせ、ロングホイールベースに短いボディデザイン。重心の低い安定性の確保のため、車高は低く車幅は広く。


ストラット式4ホイール独立型サスペンションシステムを採用した。これはFF駆動車の中でも珍しいもので、ホンダの小型車を象徴する技術となった。

歴代シビック

3代目シビック"Wonder"はルーフが拡張され、一風変わったデザインで知られる1台だ。5代目"Sports"では、VTEC-Eエンジンが採用されている。6代目の"Miracle"には、CVTトランスミッションを搭載。


Words: Antony Ingram

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事