アルファロメオ・ジュリアGTA|"Alleggerita"の魅力

アルファロメオ・ジュリアGTA



アウトデルタの功績

1963年、カルロ・キティとルドビコ・チッゾーラはアウトデルタ社を創業した。1961年末、ふたりはエンツォに反旗を翻すグループのひとりとしてフェラーリを離脱し、キティはエンジニアのビッザリーニやチーム監督のロモロ・タヴァーノらともにヴォルピ伯爵が創立した新興メーカーのATS社に移籍。チッゾーラはレースカープリペアのワークショップを初めた。だが、ATSは2年ほどで破綻し、キティとチッゾーラはアウトデルタ社を創業したのである。これがアルファロメオの目に止まり、アルファのレース活動を担うこととなった。

アウトデルタの活躍によってアルファロメオは多くの勝利を上げることになり、1964年にはアルファがアウトデルタを傘下に収め、ミラノへと本拠地を移した。

アルファロメオは、1950年にジュゼッペ・"ニーノ"ファリーナ、1951年のフアン・マニュエル・ファンジオと、2年連続してワールドチャンピオンを輩出してからF1を離れ、ツーリングカーレースへと転向した。アルファロメオの糧は小型ながら高性能なスポーツサルーンやGTであったから、ツーリングカーレースは商売に直結していたのである。ジュリア・サルーンはレースでも大いに有望で、それをベースに100kgの軽量化を図ったジュリアTIスーパーを製作してレースに挑んだ。だが、同様な1.6ℓDOHCエンジンを搭載したロータス・コーティナに対して戦闘力不足は否めなかった。

1964年、カルロ・キティはアルファロメオのオラツィオ・サッタ・プリーガ技師の助力を得て、FIAグループ2カテゴリーのツーリングカーレースに向けた軽量モデルの開発に着手した。この成果が、1965年2月のアムステルダム・オートサロンで初公開したジュリア・スプリントGTAストラダーレであった。さらに1968年にはGTA1300ジュニアを発表した。

GTAはスタンダードなジュリア・スプリントGTと異なり、ボディ外板にスティールに代えて軽量なアルミパネルを採用したことが最大の特徴であった。スティール部分の骨格とアルミパネルを接合するルーフ部分の"雨樋"にたくさんのポップリベットが打ち込まれていることで、ノーマルGTとの識別が可能である。ボディ材料は、商品名"Peraluman25(ペラルマン25)"というアルミニウム合金である。車体の骨格部分はスティール製の生産型を使い、ボディの外板、ボンネットやトランクパネル、リアのインナーパネルとその構造材、スペアタイヤハウジング、ダッシュパネルと荷物棚のパネル、リアシートのサポートなどにこの軽合金が用いられた。また、デビュー後しばらくの間は、注文すればフロアのセンターパネル部分もアルミ製とすることが可能だった。これでGTAが高価だったのは頷けよう。

軽量化を優先したことで、防音対策はほとんど無視され、クォーターウィンドーがプラスチック製となり、コルサではリアもそれに置き換えられた。また、フロントとリアシートなども軽量化の対象となった。室内では、レース用のヘレボーレ製のフラットタイプ・ウッドリム・ステアリングが備えられた。こうした軽量化対策が功を奏して、ジュリア・スプリントGTと比較して約200kgもの減量に成功し、車重は745kg(メーカー公表値)となり、動力性能は大きく向上、GTAはニュルブルクリングの北コースを10分以内で走った最初のツーリングカーとなった。

アルファロメオはグループ2のホモロゲーションを取得するために必要な1000台以上を目標に、アレーゼ工場のラインで生産を開始した(実際には500台を生産)。完成したGTAストラダーレをレース用の"コルサ"に改装する際には、ラインオフ後にアウトデルタへ運ばれ、ここで作業が行なわれた。詳細なスペックは購入するチームが注文することが可能で、オイルクーラーの追加や、より油量が多いオイルサンプの取り付け、ツインプラグヘッドの研磨、高圧縮比ピストン、ハイリフトカムシャフト、軽量フライホイールと各部の入念なバランス取りなどのメニューが用意され、最高出力は115から150bnp、そして後に175bhpへ上げることが可能であった。駆動系では、リミテッドスリップ・ディファレンシャル(LSD)が定番で、リアアクスルの位置決めを確実にする特製のスライディングブロック式ロケーティングシステムの装着も可能だった。また、フロントタイヤのグリップを強化するため、ネガティブキャンバーを強めるためにアジャスタブル式アッパーアームを備えることもあった。

1966年3月20日、ヨーロピアン・ツーリングカー・チャンピオンシップ(ETC)がモンツァで開催された時、アルファロメオGTA、BMW、BMC、ランチアが上位7ポジションを占め、GTAのデ・アダミッチとゼッコリのペアが最速ラップを記録した。続く7月のニュルブルクリング6時間レースではついにGTAが優勝を果たした。シーズンの終盤では、アンドレア・デ・アダミッチがロータス・コーティナのサー・ジョン・ウィットモアを抜き、ディビジョン2のドライバーズ・タイトルを、アルファロメオはメーカー・タイトルを獲得した。またアメリカでは、ヨッヘン・リントがセブリングで開催されたSCCA Trans-Amレースで優勝し、その後も数々の勝利を重ねた。

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事