アルファロメオを象徴するレースカー・ティーポ33/TT12を伝説のドライバー3人が試乗テスト

Photography: Tim Scott

レース界のレジェンドであるベル、メルツァリオ、ギャリとともに『Octane』がテストしたのは、1975年のワールドチャンピオンに輝いたアルファロメオ・ティーポ33。フラット12が放つサウンドが、あなたにも聞こえるだろうか?

アルファロメオ・ティーポ33/TT12のフラット12が高回転で回っていると、あたりに響き渡るサウンドで目頭が熱くなる。私がいま立っているのはバロッコのピットレーン。アルファロメオのレース部門だったアウトデルタは、北イタリアのプルービンググランドとして名高いこのコースでテストを行ってきた。今日は当時ステアリングを握った3人の伝説的ドライバー、デレック・ベル、アルトゥーロ・メルツァリオ、ナンニ・ギャリに参加してもらった。彼らこそ、バロッコにもっとも相応しいドライバーといっても過言ではないだろう。

「今朝、ここに着いたとき、心臓が高鳴るのを抑えられなかったよ」、そう語るメルツァリオの瞳はもう涙でうるんでいた。彼は今日もオシャレな白いテンガロンハットを被っていたが、この帽子を脱いだことは40年以上もないだろうと思えるほど、その姿はよく板についていた。
「 1970年代、僕たちにとってここは我が家も同然だったんだ。あの頃はほとんど毎日のようにマシンを開発したりレースの準備をしたりして、1年のうちの何カ月もここで過ごしたものだよ。ほら、あそこに見えるワークショップの上で、僕たちはよく寝たんだ」

メルツァリオが指さす先には、アウトデルタの施設としてコース脇に立てられた小さな小屋が見えた。

アウトデルタ時代

モータースポーツの歴史において、アルファロメオはもっとも古く、そして多くの成功を収めた自動車メーカーであり、1960 年代から70 年代にかけて活躍したティーポ33はそのなかでも象徴的存在として知られる。しかし、TT12 が収めた成功の数々は、ちょっとした巡り合わせ次第では幻に終わって可能性もあった。その開発を指揮したのはご存じ、名エンジニアのカルロ・キティだ。フェラーリでワールドチャンピオンに輝いた後の1964 年、古巣のアルファロメオに復帰したキティは、世界クラスのモータースポーツ活動に復帰することを目指し、2ℓスポーツカーの開発を命じられた。

最初のティーポ33は1967年にここバロッコで公開された。発表会に駆けつけたメディア関係者は、その美しい姿態と極端に低いドライビングポジションを絶賛した。1968 年のデイトナではクラス優勝を果たし、デビューウィンを早々と達成。ル・マンとタルガフローリオでも栄冠を勝ち取ると、まったく新しい3 ℓ V8 エンジン搭載の1969 年モデルがいち早く公開される。ティーポ33/3と名付けられたニューモデルによって、アルファはポルシェ9 0 8 やフェラーリ3 1 2 Pといったライバルたちと初めて互角に戦えるようになった。ティーポ33/3はデビュー直後の困難な時期を乗り越えるとクラス優勝を手に入れ始めたが、メイクス世界選手権(もしくはF I A スポーツカー選手権と説明したほうがわかりやすいだろうか)を争う5 ℓクラスの大排気量マシンには歯が立たなかった。

ところが1973年を前にレギュレーションが改正され、3ℓが排気量の上限となる。長年、12気筒エンジンの優位性を説いてきたキティは、これぞ総合優勝を狙う最大のチャンスだと捉えた。もっとも精巧なエンジンの開発は予定よりも大幅に遅れ、デビュー戦となったのは73年シーズン半ばのスパにずれ込んだ。このとき初めて、フェラーリとよく似たフラット12の咆吼が世界に轟きわたったのである。なお、エンジンは新設計のチューブラーシャシーにボルト留めされていた。そしてチューブラーシャシーはイタリア語でTubolare Telaioと綴られるので、頭文字をとってTTと呼ばれることになった。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation: Tatsuya OTANI Words: Sam Hancock

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