瞬く間に伝説となったランボルギーニ・ミウラ|偉大なる闘牛【前編】

Stephane Abrantes



ベルトーネの存在


実際にミウラをデザインしたのは誰だったのか。長年マニアを悩ませてきた問題に関してはひとつの物語を紹介するに留めておこうと思う。

ミウラのアウトラインを描いたのは、ベルトーネ在籍中の天才マルチェロ・ガンディーニによるものだと長い間信じられている。まだ20代だった彼がカロッツェリア・ギアへ転籍したジョルジェット・ジウジアーロの後任として、2カ月間の研修期間を終えてベルトーネに入社したのは1965年11月のことだ。のちにミウラとなるプロジェクト・タイガーの詳細をベアシャシーが公開される以前に知る者などベルトーネ社内には誰もいなかった。



当時、トゥーリングはまだデザインパートナーとして機能していたが、程なく廃業する。今後はベルトーネと共に歩むことがそれ以前にすでに決定されていたとはいうものの、実際にミウラのスタイリング作業が始まったのは1965年 11月のことだった。ガンディーニのスケッチをアシスタントで新人のピエロ・ストロッパが側面図と製作図へと落とし込んだ。そして1966年 1月になって、ようやくアルミボディの製作が始まったのだった。

2カ月後、ジュネーヴ・ショーにてミウラが披露される。後になってジウジアーロは、そのデザインがビッザリーニのプロジェクトのために彼がベルトーネに残した初期レンダリングに基づいていると主張した。いずれのデザインの背景にもそれぞれの物語があって、それについてはひとまず傍に置くとしょう。

どちらの主張に与するにせよ、ひとつだけ明らかなことがある。それはオリジナルのP400デザインは凄まじくセンセーショナルであったということだ。同時にそれはフェルッチョにとって頭痛の種となる。


・・・【後編】に続く。


編集翻訳:西川 淳 Words:Jun NISHIKAWA
Words:Richard Heseltine Photography:Stephane Abrantes

西川 淳

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