唯一無二の日産スカイラインGT-Rがイギリスのショップで販売中

Girardo & Co

1980年代末から90年代にかけて、日本のツーリングカーレースでは激しい接戦が繰り広げられていたが、残念なことにイギリスやヨーロッパで情報を得るのは容易ではなかった。特にグループAの時代を席巻したのが、いうまでもなく日産スカイラインGT-Rである。

1993年には新たに全日本GT選手権が立ち上がった。市販車をベースにしたシリーズから、もう少し過激なスーパーツーリングカーに近づける狙いだった。初年度はグループA車両をモディファイして参加することも認められたが、このシリーズの創設によって、もっとラディカルなマシンが生まれる余地もできた。こうして誕生したのが、長谷見昌弘が駆ったこの色鮮やかなスカイラインGT-R JGTC-GT1である。



グループAに代わる新レギュレーションは、スカイラインの圧倒的強さを抑えるため、四輪駆動に不利なものとなった。それでもスカイラインは1993年のGT選手権を制している。ハセミモータースポーツと日産のモータースポーツ部門であるNISMOは、1994年に向けてGT-Rを後輪駆動にコンバートして、それに伴う技術的な自由を利用しようとした。

R32型GT-Rをベースに、フロントのドライブシャフトを排除。これによって重量を削減でき、RB26DETTエンジンをより後方に搭載することが可能となった。エンジンはXトラック製の6段シーケンシャル・ギアボックスで駆動輪と接続した。ボディワークは特注のカーボンファイバー製で、ダウンフォースを最大化しつつ、軽量化を図った。



デビュー戦は富士スピードウェイで開催のAll Japan Fuji GT Raceで、予選は4位だったが、ギアボックスのトラブルで入賞を逃した。長谷見は次戦でポールをつかむと、さっそく優勝を飾る。最終的に、ドライバー選手権で2位、チーム部門で3位という見事な成績を収めた。

このGT-Rは1995年も初戦のみ出走し、その後はハセミモータースポーツの社屋に誇らしげに展示されていた。1996年に個人コレクションに売却され、現在はイギリスのGirardo & Coで販売されている。唯一無二のGT-Rであり、オリジナルの状態で、すぐに走行可能な健康体だという。




編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵
Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation: Megumi KINOSHITA

編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)

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